もうずいぶん前のことになるが、あるクリスチャンの若者(というか若作り者)と話していて気になったことは、「かっこいい」「かっこわるい」としきりに言っていたことだ。彼の価値観では、「かっこいい」ことは真理、「かっこわるい」ことは非真理であるらしい。
主イエスの弟子たちは、主がエルサレムに行き、敵を論破しあるいは武器を取って勝利を収めて、王座に着き、自分たちが家臣団の中心となるという、かっこいい道を夢見ていた。だから受難の予告を聞かされると、ペテロは慌てて主を諌めた。ところが、主イエスは彼を「さがれ、サタン!」と、一喝された。
主イエスの道は、弟子たちにまで見捨てられ、裸にされてむち打たれ、つばを吐きかけられ、あげくモズのはえにみたいに十字架にはりつけられて殺されてしまうという、この上なくかっこ悪い道である。その十字架を通らないで、復活の栄光をつかむことはありえない。
イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」マタイ福音書16章24節