苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

貧乏人は存在するけれど、貧困なるものは存在しなかった・・・

『柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さというものが、少しも見られない。彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている(ハリス,1856)』

『もう暗くなっていたのに、その男はそれを探しに一里も引き返し、私が何銭か与えようとしたのを、目的地まですべての物をきちんと届けるのが自分の責任だと言って拒んだ(バート,1878)』

『住民が鍵もかけず、なんらの防犯策も講じずに、一日中家を空けて心配しないのは、彼らの正直さを如実に物語っている(クロウ)』

 ラフカディオ・ハーン、イサベラ・バード、シュリーマンと読んできて、気がつくのは、幕末から明治初期、日本を訪れた西洋人たちが驚き口をそろえて言う、日本の下層階級の人々の満ち足りた表情と清潔さである。村ごとに貧富の差があり、江戸のような都市のなかでも庶民の間にも貧富の差があったけれども、たとえ経済的には貧しくとも、下層階級の人々は楽しげに清潔さをたもって暮らしていたという。また日本の庶民は世界一礼儀正しい人々であったとも評される。
 こういう記述を見て、江戸末期・明治初期の日本の文明は特殊なものだったのだのだろうかと不思議でならなかった。それをチェンバレンは日本には「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と表現している。
 渡辺京二の『逝きし世の面影』を読んでみて、ようやくその謎が少し解けた。
 当時の西洋人たちが何と比較対照して、このように日本の庶民たちの生活ぶりについて賛嘆しているかといえば、彼らの故国の下層階級の人々の生活ぶりである。当時、ヨーロッパの初期工業化社会が生み出したものは、スラム街と、そこでの悲惨と貧困と道徳的崩壊だった。19世紀の産業革命後の英国は「最暗黒の時代」と呼ばれる。
 近代工業化以前のイギリスの職布工についてエンゲルスは「労働者はまったく快適な生活を楽しみながら、のんびりと暮らし、きわめて信心深くかつまじめに、正直で静かな生涯を送った。・・・彼らの物質的な地位は、その後継者の地位よりはるかによかった。彼らは過度に働く必要はなかった。彼らはしたいと思った以上のことはしなかったが、それでも必要なだけは手に入れていた。」
 ところが、初期工業化は英国の庶民に何をもたらしたか。都市の毛織物工場が莫大な羊毛を求めるようになったので放牧地の拡大のために、地主たちは小作人たちを農地から追い出した(囲い込み運動)。それで、彼らは農村という共同体から切り離されて、都市や炭鉱に移住した。彼らに用意されたのは、床から水の上がってくる地下室や雨の漏る屋根裏部屋であり、工場では一日に十四時間ないし十六時間ボロ布のようになるまで働かされた。貧民に残された快楽は性的享楽と飲酒だけだった。
 江戸末期・明治初期の日本の庶民の明るく清潔な貧しさというのは、工業化社会以前の貧しさであり、初期工業化社会の特徴である陰惨な貧困とは異質のものだったのである。
 多くの西洋人たちが認めた「日本人の表情に浮かぶ幸福感は、当時の日本が自然環境との交わり、人々相互の交わりという点で自由と自立を保証する社会だったことに由来する。浜辺は彼ら自身の浜辺であり、海のもたらす恵は寡婦も老人も含めて彼ら共同のものであった。(中略)すなわち人々が自立した生をともにいきるための交わりの空間は、貧しいものものもふくめて、地域のすべての人々に開かれていたのである。」(渡辺p131)
 これは農村・漁村だけでなく、都市の職人たちの暮らす環境においても同様だった。たとえ貧しくとも、自由と自立が保証され、共に交わりつつ生きることが出来る環境があれば、人は幸福感をもって生きることができる。それが近代工業化が庶民から奪い去ったものだった。当時、日本を訪れた西洋人たちはいうまでもなく上流階級の人々だったから、彼らの目に、貧しくも明るく清潔な日本の下層階級の人々は、とても不思議に映ったのは当然だった。

 だが、日本でも、明治中期以降、富国強兵・殖産興業の号令のもとに、工業化が推し進められて、庶民は農村から引き抜かれて都市や炭鉱に集中し、「自由と自立が保証され、共に交わりつつ生きることが出来る環境」をうしなっていく。

<付記>
 工業化についてもうひとつ思うこと。工業化によって、人間が機械と経済市場のペースにあわせて仕事をしなければならなくなった。
 ときどき思うのだが、イスラエルの民がエジプトで奴隷労働を強いられていたとはいえ、日が昇れば起きて働き、日が沈めば寝ると言う生活だったから、電灯にこうこうと照らされて「24時間働け」という現代よりも、よほどゆったりしていただろう、と。