苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

いくらでも拡大解釈できてしまう

 集団的自衛権容認で大筋自公が合意だというニュースを見た。「他国に対する武力攻撃が発生した際、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること」というのが「限定」なのだそうである。公明は「おそれ」じゃだめだ「事態」にせよとか「危険」にせよとか議論していた。
 そのむかし、「満州国を手放したらわが国の存立が脅かされる」とか「満州国は日本の生命線だ」としがみついた結果、ABCDから石油禁輸制裁をされて、「自衛だ」と言って太平洋戦争を始めてインドネシアまで油田を奪いとりに行ったのである。「おそれ」であろうと「事態」であろうと「危険」であろうと、こんな「限定」は、時の権力者と官界と財界の意向で、いくらでも拡大解釈できてしまう。
 そもそも三権のひとつ行政府による解釈変更決定で、実質的に改憲してしまうという手法こそ、立憲主義を破壊する独裁であり、「わが国の存立を脅かし、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を根底から覆す」クーデター的行為なのである。行政府は、法律を作る機能は持たないし(作っていない解釈しているんだと屁理屈をいうだろうが)、憲法の上にではなく、憲法の下にあるものなのだ。