苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

日本国憲法の制定過程(その4)          2 米国による日本非軍国化のための戦後処理準備とポツダム宣言

(1)極東班による戦後処理政策研究(1942年8月)と戦後委員会設置(PWC1944年2月)
 1942年8月、太平洋戦争開始直後、米国国務省内に極東班が設置され、極東・日本の専門家が集められ、戦争後、日本の無条件降伏を前提として戦後処理について、いかなる方針で臨むかの研究が開始された。研究成果のうち占領政策に関連し、日本国憲法に影響するものをいくつか挙げてみる。
敵国である日本を憎み、戦後は復興不能となるまでに制約をかけるべきであるという人々も多くいる状況下で、この研究に携わった人々は知日派親日派知識人たちであったことは、戦後の米国の対日政策に大きな影響を与えることになった。興味深いことに、これら親日知識人たちに影響していた書物は、小泉八雲ラフカディオ・ハーン)の著作だったという。(こちら参照 http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20130315/p1

a.一般原則
T357「日本の戦後処理に適用すべき一般原則」(1943年7月28日)ブレイクスリー
満州・朝鮮・台湾は国家と民族自決の原則から独立させる。軍事力は「日本がふたたび国際平和の障害になることを防ぐ」。「日本の軍備撤廃」「重工業の抑制」「常設の国際軍事査察組織の設立」などを考慮すべきである。・・・言論の自由憲法改正、教育改革にも触れる 。


b.農地改革・財閥解体
T354「戦後日本経済の考察」(1943年7月21日)フィアリー
  「日本は経済的安定のために国内改革を遂行せねばならない。地主制と小作制度は長年の積弊であり、農地改革の必要は日本国内でも認められている。しかし終局的には農村の過剰人口を工場労働者として吸収する以外に解決はない。産業部門については、約七割の工業生産と貿易を支配する四大財閥とその他数個の財閥を解体せねばならない。 」・・・農地改革、財閥解体の必要


c.統帥権独立問題
T358「日本、最近の政治的発展」(1943年7月28日)ヒュー・ボートン
 「軍部への優先や、東条首相のもつ独裁的権力の集中は、明治22年発布の、君主制が確立された大日本帝国憲法の枠組みの中で達成された。」
 「陸軍大臣海軍大臣天皇に直接奏上するという慣習が認められている。したがって両大臣は、奏上した軍事的に重要なこと以外を内閣総理大臣に報告する。この軍部の独立した権限は、大日本帝国憲法の第十一条(統帥大権)と第十二条(編制大権)で明白にされている。」
 「その結果、軍部は政治的に力を持つことになり、軍事的な政策、方針を政府に強要することができた。」
 「陸海軍大臣現役武官制は、軍の好まぬ政策を内閣が遂行することを阻止できた。」
・ ・・・統帥権の独立が問題だった点を指摘


d.総括
T381「日本の戦後の政治問題」(1943年10月6日)ヒュー・ボートン
「軍部が二度と優位を奪えないように、日本の国内政治体制は再編制されなければならない。」と制度変革の必要を述べている。その骨子はGHQ憲法草案の原則がすべて記されている。
① 内閣強化と軍部の抑制 
② 議会の強化 
天皇制の存続と改正
報道の自由権利章典基本的人権の尊重)

1944年2月 戦後計画委員会(PWC)が設置される。Tシリーズを基礎として、占領政策に具体的に反映する前提でCAC『国と地域の諸委員会』文書として書きなおされていく。特に注目されるのはCAC116『米国の対日戦後目的』(1944年3月14日)。先にあげたブレークスリー「日本の戦後処理に適用すべき一般原則」をもとにしたもの。ここにはポツダム宣言の主要条項が網羅されている。すなわち、領土的目的、軍事的手目的、経済的・財政的目的、政治的目的、終極的目的という5項目にわたって、実質的にポツダム宣言の内容と重なっている。


(2)ポツダム宣言
 先の敗戦にあたって日本が受諾したポツダム宣言は下のとおりである。アンダーラインは筆者による。じっくり読まれたい。諸条件は「六」以降である。
 軍国主義の除去に関しては、第六、七、九項。
 戦後裁判については、第十項前半。
 民主主義強化・言論・宗教・思想の自由、基本的人権尊重については、第十項後半。
 将来世界貿易復帰を認めるも、軍需産業の維持は認めないことについては、第十一項。
 占領軍の撤収条件については、第十二項。これは未実行。

<本文>
千九百四十五年七月二十六日
米、英、支三国宣言
(千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ)
一、吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート・ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ

二、合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数 倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国カ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ連合国ノ決意 ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ

三、蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ 日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国 人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レサル程更ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スヘク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スヘシ

四、無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国カ引続キ統御セラルヘキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国カ履ムヘキカヲ日本国カ決意スヘキ時期ハ到来セリ

五、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス

六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス

七、右ノ如キ新秩序カ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ

八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ

九、日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ

十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図 ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的 傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ

十一、日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルカ如キ産業 ヲ維持スルコトヲ許サルヘシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラス右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別 ス)ヲ許可サルヘシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ

十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ

十三、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス
(出典:外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊)