苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

出エジプト記の歴史的・政治的背景 その1   文化の爛熟と支配者の交代

 一ヶ月ほど前にも書いたのだが、イスラエルのエジプト脱出の政治的・歴史的背景は、調べ思い巡らすほどに興味深い。いくつかメモしておきたい。

1.エジプトでヨセフが重用された理由

1:8 さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。

 古代エジプトの歴史は、古王国時代、(第一中間時代)、中王国時代、(第二中間時代)、新王国時代と区分されるが、ヨセフが兄たちによって隊商に売り飛ばされて、エジプトにやってきたとき、エジプトは第二中間時代であるヒクソス王朝の時代だった。古王国・中王国・新王国はエジプト人による王朝だが、ヒクソス王朝というのはエジプト人たちによる王朝ではなく、パレスチナ、シリア方面のおもにセム系の人々による征服王朝だった。だからこそ、ヨセフはエジプトの宮廷で重用されることができたのだろう。
 「ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった」というのはエジプト新王国時代(1570-1070)が到来したということを意味している。


2.パロによるイスラエル弾圧政策の理由

 新王国のパロが国内に住むイスラエルを弾圧したのは、一つにはイスラエルの民がヒクソス王朝のゆかりの異民族であったからだろう。征服王朝を倒した後の王朝が、国粋主義的になるのは自然なことだった。

 もう一つの理由がある。それはパロのことばからうかがい知ることができる。

1:9 彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。 1:10 さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」

 エジプトがヒクソスに征服される前の中王国時代の末期、貴族の荘園で働く奴隷たちの名簿が発見されている。その名簿にはセム系の名前が多数発見されている。エジプトに富が集中し、多くのセム外国人労働者がそこに仕事を求めてやってきて、エジプト人たちはきつい低賃金労働を、セム系労働者に任せるようになっていった。そして、あるとき外国からセム系征服者がやってくると、国内にいたセム系労働者たちが呼応して、王朝が転覆してしまった。・・・こういう筋書きであろう。
 こうした歴史的経験があったから、ヨセフを知らないエジプト新王国の王は、エジプト人少子化し、国内にイスラエル人が増えていくことに非常に危機感を覚えたのであろう。

 考えてみれば、こうした現象は文明の爛熟した国家の末期にありがちな現象である。かつてローマ帝国が版図を広げる時期には、ローマ人とその軍隊は文化的なギリシャ人とちがって質実剛健ギリシャ人から言えば野蛮)をもって鳴っていた。ギリシャはローマ人によって帝国に滅ぼされ呑み込まれてしまった。
 だが、ローマ帝国末期になると、ローマの軍隊の構成員の多くはゲルマン人の傭兵となっていた。かつて質実剛健だったローマ文化はそのころ爛熟してしまい、きつい軍隊の仕事はゲルマン人の傭兵たちに任せるようになっていた。そして結局、西ローマ帝国傭兵隊長オドアケルによって滅ぼされてしまった。

 日本の歴史でいえば、平安時代末期、貴族たちはもはや刀も槍も使えなくなっていて、そういうきつく野蛮な仕事は武士に任せるようになっていた。やがて、武士が政権を握るようになっていく。

 現在、ヨーロッパの国々には外国人労働者があふれている。数年前、スウェーデンで聞いたのだが、あと8年するとおもにトルコ系住民の数がヨーロッパ系住民を上回るだろうと予測されていた。ヨーロッパ系住民は少子化でますます人口を減らしており、きつい低賃金労働を担当するイスラム系住民は多産であるからである。
 筆者が住む南佐久郡では、20年ほど前は夏場の高原野菜の収穫は、日本人アルバイト学生が担い手だったけれども、現在はほとんど中国人・フィリピン人になっている。TPPで労働市場が開放されるならば、日本でもすぐにそういう状況になることは必然である。

 筆者は、ことの良し悪しを言っているのではない。歴史の法則とでもいうことが、そこにあることをわきまえて、TPPのこともよく考えねばならないと言いたいだけである。