苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

西岡常一、小川三夫、塩野米松『木のいのち 木のこころ』


 宮大工西岡常一さんとその弟子小川三夫さん。
この第一部は「木に学べ」という単行本で以前出されて、十年ほど前に図書館で見つけて読んだのですが、ずっと心に残っていました。今回、弟子の小川さんと、聞き書きノンフィクションの名手塩野さんの文章も加わったものを古本で見つけて読んでいます。
 一言一句に教えられるという感じです。

 たとえば、家は住む人の心を離れて、家はない。住む人のこころを考えて家を建てよ、と。
 また、樹齢千年の木は、使いようによって千年間建物として生きる。
 また、堂塔を建てるには木を買うのでなく山を買いなさい。そして南斜面の木、来た斜面の木、東斜面の木、西斜面の木、それぞれの癖、特性を生かして組み合わせていく。それが適材適所ということ。
 堂塔を建てるには、設計図どおりでなく、木の癖を読み、木が落ち着く三百年後の完成を見越して建てること。
・・・こんなふうなことばです。
 コンクリートや鉄といった均質な材料で家を造るのと、一本一本個性のある木をもって家を造るのとはちがうのですね。その個性を殺すために正目の材そして集成材をつかうけれど、それはいかがか、と。
 近代合理主義に染まってしまった現代の建築だけでなく、教育や生き方を反省させられます。
 また、徒弟制度について。頭、ことばではほんとの職人は育たず、手の記憶、からだの記憶が大事なんだということ。手取り足取り教えたのではほんものにならない。ただ自分で時間をかけて苦労して会得した技術のみが、本物になるんだ、とか。