苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローマ書13章:正常な国家権力の務め

 昨日は悪魔の手先となってしまった国家権力について黙示録13章から概要を書いたが、それだけではアンバランスなので、国家権力の本来の務めについて啓示されたもうひとつのR13章から書いておく。


ローマ人への手紙13章

<個人で悪に復讐してはいけない。かえって善をもって悪に打ち勝ちなさい。>

12:19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
12:20 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
12:21 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

 聖書は個人的復讐を禁じ、それは公的権威に委ねるべきであると教えていると思われる。そこで、次に国家権力と、その務めが教えられる。


<国家権力は神が立てた>

13:1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。

 国家権力は神が立てたものである。それゆえに尊重されなければならない。ローマ書の書かれた時代でいえば、頂点にはローマ皇帝、各属州の総督以下の権力機構を意味している。だが、それは神ではなく、神が立てた道具にすぎないのだから、無限の権能を持つわけではなく、神の定めの限界のなかで務めを果たすべきである。


<国家権力の務め①強制力をもって社会秩序を維持すること>

13:2 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。 13:3 支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます。 13:4 それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。 13:5 ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。

 国家権力には強制力をもって社会の秩序を維持するために、剣の権能つまり警察権が委ねられている。今の日本でいえば法律・武器・裁判所・刑務所を国家権力が独占している。


<国家権力の務め②徴税で富の再分配をはかること>

13:6 同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。
13:7 あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。

 国家権力には徴税の務めが委ねられている。富の再分配を図るためである。
 以上のように、神は国家権力対して世俗的務めを委ねておられるから、彼らがその世俗的業務に励んでいる以上は、我々はこれを尊重すべきである。しかし、神は国家に対して神のことばを語る霊的な務めは委ねてはおられない。
 国家が悪魔に影響されるとき、委ねられた分を越えて、
①権勢の拡張を図って他国民までも支配することを願望するようになり、
②世俗業務に飽き足らず、霊的なことがらに介入し、自らを神格化し民に礼拝と服従を求めるようになり、それに従わない者は迫害する。
 とはいえ、権力がこのように悪魔の影響を受けたからといって、ただちにそれを打倒すべきであると聖書は教えてはいない。歴史上に出現した権力者の多くは祭司や神を名乗った。ローマ皇帝は帝国の大祭司を名乗っていた。
 神の民としては、彼らが託された世俗的業務を果たしていることについては尊重しつつ、彼らが分を越えたことをする場合には警告し、あるいは礼拝の要求には拒否しつづけるという忍耐強い歩みが求められている。