先月末、信州夏期宣教講座で三つの講演のうちひとつを担当させていただいた。すでに当ブログでは書いたことのある申命記17章のアウトラインによるものだが、そのなかで、聖書解釈上いまひとつはっきりしなかった点があった。
「王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない」と【主】はあなたがたに言われた。」(申命記17章16節)
このなかの「馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせる」とはどういう意味かすっきりとわからなかった。それで、「これはエジプトと軍事的な関係を持つこと、もっと言えば軍事同盟を結ぶことを意味するのであろうと思われますが、いまひとつすっきりと解釈できないので、お分かりの先生がいらしたら教えてください」と申し上げた。
すると講演後、最前列にいらした渡辺信夫先生が、「これは馬をエジプトから手に入れるために、民を代価の奴隷としてエジプトに売り渡すという意味であると私は理解してきました。」と応答してくださった。明快な解釈にひざを打った。と同時に、なんとも酷いことであると思った。
しかし、今朝もう一度このことを思いめぐらしてみて、日本は戦後ずっと、特に沖縄の人々に対してまさにこのことをしてきたのだということに気づいた。共産圏の軍事的脅威に対処するために、米国の軍事力をあてにして、そのために沖縄の人々を米国に売り渡してきたのだ、と。渡辺先生はそのことを当然意識して御発言なさったのだろうが、鈍い私は今頃になって気づいた。
夏期宣教講座でのもうひとつの李ソンジョン教授の講演のなかで、朝鮮戦争の戦死者の墓誌のなかに沖縄人の名があったことに衝撃を受けたというお話があった。当時、沖縄は米軍の支配下にあり、そのなかで沖縄の人々が朝鮮戦争に狩り出されていたのである。本土の人間は憲法9条を盾として、出兵を拒んだのであるが。
日本国憲法が施行された直後の1947年9月中旬、昭和天皇が沖縄を米軍の基地として占領し続けることを希望するメッセージを米国国務省あてに送ったという事実が、筑波大学教授進藤榮一が1970年代末に紹介している。
寺崎(注:宮内庁御用掛、寺崎英成)が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球のほかの諸島を軍事占領し続けることを希望している。(中略)天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(と要請がありしだい他の諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の―25年から50年ないしそれ以上の―貸与をするという擬制の上になされるべきである。
(進藤榮一「分割された領土」『世界』1979年4月号 古関彰一『憲法九条はなぜ制定されたか』p35より孫引き)
馬を得んがために民をエジプトに売り渡したのである。昭和天皇は、ついに死にいたるまで沖縄を訪問できなかった。だが、これは決して昭和天皇だけの罪ではなく、また、過去のことでもなく、戦後は国民主権である以上、今、私たち自身の罪でもある。