苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

干しいちじく

そしてイザヤは言った、「干しいちじくのひとかたまりを持ってきて、それを腫物につけさせなさい。そうすれば直るでしょう」。(列王記下20:7)

 敬虔なヒゼキヤ王に、預言者イザヤが「あなたの家を整理しなさい。あなたは死ぬ。治らない。」と告げると、ヒゼキヤは主の前に涙を流して祈った。すると、主は彼にあと15年の地上のいのちをお与えになり、預言者イザヤを通じて、干しいちじくを腫物につけよと命じられた。そして、ヒゼキヤは治った。(「直った」という字はいただけない。)ヒゼキヤは皮膚がんだったのかもしれない。
 イチジクの果汁から抽出した抗ガン物質「ベストアルデヒド」はガンに効果的だと言われているそうである。「と言われている」という程度であるから、特効薬ではない。もし、彼が皮膚がんだったとすると、主はこのとき特別摂理をもって干しいちじくを皮膚がんの特効薬とされたということになる。
 神のみわざは、ふつう、創造と摂理に区別される。創造は、最初に無から世界を創られたことを意味する。摂理は、通常の摂理と特別摂理に区別される。通常の摂理とは、創造において創られた法則をもちいて世界を治められることであり、特別摂理とはいわゆる通常の法則を超えて世界に働きかけること、つまり奇跡を意味する。特別摂理には二種類あって、通常の法則を特別に強化して起こされる奇跡のばあいと、通常の法則とは別の方法で起こされる奇跡のばあいである。ヒゼキヤの癒しは、通常の法則を特別に強化して起こされた特別摂理による奇跡であった。


 ヒゼキヤ王という人は、政治家として有能な人物であったが、神の前にあっては子どものように素直な人であった。それが、ここでは美点として現われている。
 だが、彼は時に子どもじみたところもあった。このあと最晩年、ヒゼキヤはバビロンからの使者に宮殿の宝物をすべて自慢げに見せてしまい、それが、彼の死後、彼の子孫にわざわいを招くことが告げられた。すると、ヒゼキヤは「あなたが言われた主の言葉は結構です」と言ったという。彼は「せめて自分が世にあるあいだ、平和と安全があれば良いことではなかろうか」と思ったからである。
 神の前に子どもらしいのはよいが、子どもじみた者であってはならない。そういえば、むかし、childlikeとchildishのちがいというのを習った記憶があるなあ。