苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

環境破壊の真犯人


       ノコギリソウ



「22:6もしあなたが道で、木の上、または地面に鳥の巣のあるのを見つけ、その中に雛または卵があって、母鳥がその雛または卵を抱いているならば、母鳥を雛と一緒に取ってはならない。 22:7必ず母鳥を去らせ、ただ雛だけを取らなければならない。そうすればあなたはさいわいを得、長く生きながらえることができるであろう。」申命記22:6,7

 リン・ホワイトが1967年に発表した「現在の生態学的危機の歴史的根源」以来、環境派によって次のような主張がなされ続けて、今では常識のようになっている。いわく、「キリスト教は、神が、人間を自然の支配者として世界に置いた人間中心の教えによって自然破壊を促進した。これに対して、東洋的な自然宗教は人間もまた自然の一部にすぎないと教え、人間は自然を尊敬し、これを破壊しない。」朝日新聞などでよく見る論調である。
 まじめなキリスト教徒はすぐに反省しがちなのだが、これは事実に基づく主張なのか?素朴に自分自身をふりかえって、キリスト教徒になってから、山にゴミを捨てたり、石油を無駄遣いするようになったかというと、むしろ逆である。周囲のキリスト教徒を見ても同じである。常識になっているホワイト説は、ただの作り話ではなかろうか。それに、もし自然宗教が環境を保護して来たということが事実ならば、オリエントや中国の自然宗教の地域では環境は守られて来たはずであろう。だが、実際はそうでなかった。

 かつて豊かな森林だったという古代メソポタミアは、今は不毛の地である。古代メソポタミア人の宗教は、いわゆる自然宗教だった。彼らは焼きレンガを作るためと、農地拡大のために森林伐採をした。その結果、森林の蒸散作用が失われて雨雲ができなくなり 、彼らは灌漑をしたが、その結果、川の水に含まれる塩分のために塩害が起こり砂漠化してしまった。
 古代中国もまた、自然宗教の地であった。ここでは北方からの騎馬民族の侵入をふせぐ万里の長城を築く為に、莫大なレンガを製造するために森林が次々に燃料として用いられて消失していった。ゴビ砂漠はそのあとだと言われている。
 かつてヨーロッパは森に覆われていた。キリスト教宣教師が、ケルト人やゲルマン人が神として拝み動物やときには人を生贄として捧げた神木を切り倒したということを取り上げて、環境派はキリスト教が環境破壊の元凶だという。だが、宣教師たちがしたことは「森林破壊」でなく、彼らを子どもなどを樹木に生贄としてささげる迷信から解放するためのデモンストレーションにすぎなかった。
 実際に、ヨーロッパの森林を破壊したのは12世紀の農業革命と大開墾、そして16世紀以降の帝国主義諸国による植民地争奪戦のための軍艦建造競争である。スペインはかつての森林に覆われた緑豊かな国土を、無敵艦隊アマルダと引き換えに赤土の荒野とした。そして、産業革命後、環境破壊はさらに世界に急激に拡大した。
 現代アフリカの砂漠化の原因は過度の焼畑農業である。中国も過放牧で砂漠化が急激に進んでいる。米国、オーストラリア、インドなどの経済効率優先の大規模灌漑化学農法も大地を砂漠化している。世界で毎年6万平方キロが砂漠化している。
 現代のグローバリズムを掲げる市場原理主義自由主義経済は、今、造り主が託してくださった大地を急速に滅ぼしつつある。穀物メジャーは、発展途上の国の大地主に札束をもって近づき、森を切り払って農地を大規模化し、単作・機械化・化学農法を持ち込んだ。結果、農民たちの伝統的農業技術は失われたが、大量の穀物を安価に収穫することができるようになり、世界の市場に売りさばいて、穀物メジャーは莫大な利益を得た。大地主はもちろん農民たちも、かつて経験したことのない収入にいろめきたった。
 しかし、十年もたつと大量に投じられた化学肥料と農薬と連作で大地は疲弊して、ろくすっぽ収穫ができなくなった。また、森が切り払われて農地が大規模化したために、土壌が風で飛ばされてしまったことも大地の荒廃をもたらした。すると、国際穀物メジャーはさっさと生産地を他国に移してしまう。
 あとに残された農民たちは伝統的農業技術も、それに適正規模の農地も失ってしまっている。さらに、森が切り払われたために、蒸散作用が失われて、雨雲が形成されなくなってしまい、大飢饉がその国を襲った。骨と皮しかない子どもたちが土を口に運んで飢えをしのぐありさまが世界に報道される。すると、国際的支援が必要ということで国連が動き、国々が拠出して大量の小麦を買いつけて、大飢饉に襲われた国の人々に提供することになった。この機会にまたも莫大な利益を上げたのが、かの国際穀物メジャーだった。マッチポンプなのである。
 こうした悲惨で罪深いことが、アフリカ、インド、南米、アジアの第三諸国で繰り返されてきた。貪欲なグローバリズム経済は、造り主が人類に託された大地を収奪しつくして滅ぼしてしまう。グローバル企業というものは、特定の国や国民に対してなんら忠誠心というものを持ち合わせておらず、ただ企業利益だけを目的として活動している貪欲な怪物である。かつて英国のトマス・ホッブズは、近世に登場した中央集権的な近世近代の国家を旧約聖書ヨブ記に登場する怪物リヴァイアサンレビヤタン)にたとえたが、それをも呑みつくす現代のリヴァイアサンは、自由市場主義経済を教義とするグローバル企業である。TPPは、こうした動きの典型。


 結局、事実を見れば、マモニズム(=経済第一主義)と戦争こそが地球環境破壊の元凶であった。マモンこそは最強の偶像である。特に現代のグローバル経済主義は、環境破壊を急激に推し進めている。「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ:24b)マモンが登場すると、自然宗教の神々は吹っ飛んでしまうし、キリスト教徒も目が眩んだ。環境破壊の歴史を観察するならば、洋の東西を問わず、破壊の元凶は貪欲(無制限な経済活動)と戦争であった。現代でも同じである。戦争もまた貪欲がその根っこにあることを考えると、環境破壊の元凶は貪欲にある。


 しかも、ミヒャエル・エンデは人間のこの制御しがたい貪欲という罪を激しく助長し、取り返しのつかない環境破壊を引き起こしているのは、「利子がつく貨幣」という経済システムであることを明らかにしている。以前に書いたむさぼり(貪欲)と利子のつく貨幣と環境破壊にかんするQAを以下に部分的に引用しておく。

Q3 環境問題の根本原因とはなんでしょうか?

A それは「むさぼり」です。神が与えてくださった正当な権利があるものを欲することは悪いことではありませんが、「むさぼり」とは、正当な権利がないものまで欲しがる分をわきまえない欲求であり、第十戒の禁じる罪です。


Q4 主イエスは富のむさぼりについてなんと教えられましたか?

A 主は富はえてして、神に代わる偶像となることを指摘なさいました。「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」マタイ6:24


Q5 人はなぜ金銭を欲しがり蓄える拝金主義に陥るのでしょうか?

A 第一に、金銭以外のものは時とともに価値が減じていくものですが、金銭は老化することなく、また扱いようによっては利子がつくことによって価値が増えていくものであるからです。
 第二に、金銭は他のさまざまなものと交換することができるので、一見、すべてのものの価値の基準すなわち「神」であるかのごとく見なされるようになるからです。


Q6 利子の付く通貨、拝金主義が環境におよぼす影響はどのようなことでしょうか?

A 借金をして事業を展開した場合、借金の利子を返すために、その企業は現状維持ではなく成長することを強いられることになります。経済規模が成長しなければ、倒れてしまいます。ですから、こうした経済活動の総体としての世界経済も成長を強いられるわけです。この利子の付く通貨の場合、経済規模の成長は二次関数のカーブを描きますから、環境の許容範囲を超えてしまうのです。


Q7 では、環境を配慮して、通貨について世界ではどのような工夫が試みられているでしょうか?

A 老化する金銭、すなわち、マイナス利子をつける地域通貨と呼ばれるものです。地域通貨の効用は、第一に都市と農村の格差拡大を防ぎます。第二の効用は不景気なときに通貨をたくわえる動機を抑制することによって、蓄財と不景気の悪循環を防止します。第三の効用は利子が付かないので企業活動は無理な拡大を強制されないので、経済成長による環境への悪影響を抑制します。

 キリスト教徒たちも、自然宗教者たちと同様に環境破壊をしてきたが、それをホワイトがいうようにキリスト教信仰に基づくことではない。ホワイトの主張は、真犯人を見誤らせて環境問題の解決を妨げることのゆえに、環境保護にとってむしろ有害である。
 私たちは、利子のつく貨幣というシステムに基づいたマモニズム、貪欲こそが環境破壊の元凶であり、格別、現代においては、グローバル市場経済であることをわきまえて、行動しなければならない。


追記
キリスト教環境破壊犯人説」は、キリスト教スケープゴートにして、真犯人であるグローバル企業のマモニズム(金銭崇拝・経済第一主義・貪り)を見逃す手伝いをしている。意図的なこととは思わないが・・・いや、もしかすると、経団連をはじめとするグローバル企業群をスポンサーにして、TPPを推進しているマスコミの意図的な隠蔽かもしれない。311以降、すっかり大手マスコミ不信になってしまった筆者には、そんなふうにも見えてしまう。