苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

シャカの道 3・・・・苦の原因とそれからの解放

*現世は四苦八苦
 さて、シャカは死後には無関心で、現世の課題に取り組もうとする。シャカの現世の見方は非常に悲観的で「人生は皆苦である(一切皆苦)」という。その苦しみは「四苦八苦」ということばに要約される。四苦とは、「生老病死」つまり、老いること、病気になること、死ぬこと、そしてこんな苦しみに満ちた世界に生まれた苦しみ。そして八苦とは、さらに、生老病死に、憎らしい者と会わなければいけないこと(怨憎会苦)、愛する者と別れなければならないこと(愛別離苦)、欲しいものが手に入らないこと(求不得苦)、人間存在を構成するあらゆる物質的及び精神的な要素にまつわる苦しみ(五蘊盛苦)、これら四つを加えたものである。(渡辺照宏『仏教』p97,99)
 なぜシャカはこれほど世界は苦しみに満ちていると認識したのか?私にはよくわからない。ともかく、シャカにとっては人生は苦しみのかたまりだから、この苦しみからの解放が課題となる。


*縁起(因果律

 苦という問題解決のためにシャカが発見した世界の根本法則が、縁起の思想である。仏教者ひろさちや氏は、仏教を<構造分析・法則発見型宗教>と呼び、シャカが発見した根本法則は縁起の思想であったという。縁起説というのは因果律、つまり、物事には原因があるという思想である。それを定式化して言うと、以下の通り。

 「AがあるからBがある。Aが生じるゆえにBが生じる。
  AがないときBがない。Aが滅するゆえにBが滅する。」


*苦の原因

 では、人生の苦しみの原因はなにか?シャカは「世の中にある種々さまざまな苦しみは、執着を縁として生起する」のだと言う(『スッタニパータ』1049-1051 学生メッタグーの質問、中村元訳)。「いつまでも若くありたい」という執着があるから老いが苦しく、「いつも健康でありたい」と執着するから病気が苦しく、「いつまでも生きていたい」という執着があるから死が苦しいという。
 では、「いつまでも若くありたい」「いつも健康でありたい」「いつまでも生きていたい」という執着の原因はなにか。シャカに言わせれば、それは無明である。無明というのは人が現実を見失っているということ、現実誤認である。現実は、「人は必ず老い、人は病気にかかり、人は必ず死ぬ」ということであるのに、その現実を直視していないから執着が生じ、執着が生じるから苦しみが生じるというわけ。以上の因果関係を示すと、以下のようになる。


 無 明(現実誤認)→ 執 着 → 苦 


*苦からの解放
 では、苦しみからの解放はどこにあるかというと、無明を明知に転じることである。たとえば、「生者は死ぬ」「健康者は病にかかる」「若者も年をとる」「憎たらしいやつにも会わなきゃならない」「愛する人とも別れの日は必ず来る」「欲しいものがみな手にはいるわけじゃない」という現実を直視することである。そうすれば、ばかげた執着はなくなり、執着がなくなれば、苦しみはなくなるというわけである。仏教の本は聞きなれない漢語がたくさん出てくるので、むずかしげだが、ごく単純な理屈である。

 明知(現実直視)→ ばかな執着がなくなる → 苦がなくなる 


 「取著するものを、これはいけないぞと見ていると、その人には、愛著の念が滅してくる。愛が滅すると取が滅する。取が滅すると有が滅する。有が滅すると生が滅する。生が滅すると、老死・愁・悲・苦・憂・悩もまた滅する。」(「大樹」『相応部経典』12:55 、増谷文雄訳)


四諦=明知(現実直視)

 この明知をもたらすのが、四諦である。まず、「人生は苦である」という認識(苦諦)、「愛着が苦の原因である」という認識(集諦)によって苦の原因にさかのぼり、次に、「愛着を滅することによって苦が消滅する」という認識(滅諦)を得、「これは苦の消滅に至る方法である」という認識(道諦)を得て実践することである。
 「若者は老いるものなのだ」とあきらめれば、若くあることに対する執着がなくなり、したがって老いの苦しみはなくなる。「健康な者もいずれ病気になるものなのだ」とあきらめたら、健康であることに対する執着はなくなり、したがって、病の苦しみはなくなる。「生きている者は死ぬものなのだ」とあきらめたら、生きることに対する執着はなくなり、したがって、死の苦しみはなくなるというのがシャカの理屈である。


*明知を得るには・・・八正道
 そうは言っても、それは理屈がそうであるというだけであって、ほんとうにそうだと納得するつまり明知を得るのはまた別である。これを得る方法として「八正道」の実践が必要になる。「八正道」とは、

 一、正見(正しいものの見方)
  正しいものの見方が明知を得ることになるから、もっとも根本的なこと。欲やこだわ  りによって偏った見方をしないこと。これは二から七の実践によっておのずと身につ  く。
 二、正思惟(正しい考え方)
  柔和な気持ちでものを考え、人を思い遣ること。
 三、正語(正しいことば)
  偽り、悪口、中傷、お世辞、無駄口を避ける。
 四、正業(正しい行為)
  生き物を殺さず、盗まず、みだらな性生活をやめ、酒を飲まない。
 五、正命(正しい生活)
  早寝早起きをし、暴飲暴食をやめ、規則正しい生活をする。
 六、正精進(正しい努力)
  適度な努力。怠慢も無理ながんばりもいけない。
 七、正念(正しい注意)
  つねに四諦を忘れない。
 八、正定(正しい精神統一)
  禅のこと。

 シャカの教えた救いとは、「今、この現世において」この八正道の実践により明知を得、明知によって執着を去り、執着が去れば苦が滅するということである。言い換えると、シャカのいう苦からの解放の道とは
<現世で健全な生活を心がけ→現実を直視するならば(あきらめるならば)→執着がなくなり→苦悩から解放される>
 ということである。
以上のように、シャカの思想は現世主義で合理的でシンプルである。シャカが説いたことは、来世とは無関係である。シャカに死後・来世の祝福を求めようとすることは、医者にどうしたら天国に行けるのかと聞くようなものであり、魚屋にトマトを買いに行くようなものである。