苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

祭司の唇からでることば

1:14彼女に言った、「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい」。 1:15しかしハンナは答えた、「いいえ、わが主よ。わたしは不幸な女です。ぶどう酒も濃い酒も飲んだのではありません。ただ主の前に心を注ぎ出していたのです。 1:16はしためを、悪い女と思わないでください。積る憂いと悩みのゆえに、わたしは今まで物を言っていたのです」。 1:17そこでエリは答えた、「安心して行きなさい。どうかイスラエルの神があなたの求める願いを聞きとどけられるように」。 1:18彼女は言った、「どうぞ、はしためにも、あなたの前に恵みを得させてください」。こうして、その女は去って食事し、その顔は、もはや悲しげではなくなった。
サムエル記上1:14−16


 その時代イスラエルの不敬虔はひどかったから、泥酔して礼拝にやってくる不埒な者たちもたびたび見かけたのだろう。それで、ハンナが子が与えられることを願って宮で熱心に祈っているのを見て、祭司エリは、彼女が泥酔していると見誤った。
 ハンナの説明をきいて、祭司は内心恥じた『ああ、祈っていたのか』。その心の動揺を隠すように、「安心して行きなさい。どうかイスラエルの神があなたの求める願いを聞きとどけられるように」としかつめらしい顔をして言った。エリのことばは照れ隠しにすぎなかった。
 だが、ハンナは祭司の唇から発せられたことばに、主の約束を聞き取り、そして、子が与えられると確信した。だから、「その顔は、もはや悲しげではなくなった」。事実、のちになってハンナは約束の成就を得ることになる。
 不思議なことであるが、祭司の祭司としての唇から出ることばが、祭司の意図を超えて、神のみ旨を告げるということが、ときどき聖書には出てくる。