苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ただ神にのみ栄光を

34:4そして主は彼に言われた、「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、これをあなたの子孫に与えると言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せるが、あなたはそこへ渡って行くことはできない」。 34:5こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。 34:6主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない。           申命記34:4-6


 荒野で苦節40年かたくななイスラエルを率いて、約束の地を目前にしながら、その地にはいることを許されなかったモーセ。その墓も知られない。主のお取り扱いは、一見すると、あまりに非情に映る。
 しかし、これは、モーセが最大の主のしもべであったからこその、主の配慮でもあったろう。モーセが世を去って後、遺徳を慕う人々が彼をあたかも神のごとく祭り上げる危険性は大きかった。生涯をかけてイスラエルの民に唯一の神を伝え、民を偶像の神々から解放するために闘ったモーセ自身が、死後、もし神と祀られてしまうようなことがあったなら、それこそ彼の生涯は失敗だったことになってしまっただろう。
 ヴィッテンベルク、チューリッヒジュネーヴに立てられた改革者たちの像のことを思うと、私などは素朴に「なんと気の毒なことを」と思ってしまう。彼らは、「ただ、神にのみ、栄光を!」と、生き、そして、死んだのに。