苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

植木枝盛「男女の同権」

 日本国憲法の淵源は明治の自由民権思想にある。その自由民権運動家、植木枝盛は、安政4年1月20日(1857年2月14日) - 明治25年(1892年)1月23日)に生きた人であるが、時代を超越してものを考えることのできる人だった。江戸時代末期から明治中葉の日本人には、男女同権などということは発想すること自体がほとんど不可能なことであった。植木の男女同権論の根底には、上帝による人間の創造がある。土佐藩士の家に生まれた植木は、1875年(明治8年)、19歳で上京して「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の福沢諭吉に師事し、翌年から耶蘇教会に通ったという。

「男子にして権利あれば婦女もまた権利あるべし。婦女にして権利なしとすれば、男子もまた権利なしと謂わざるべからず。何となれば男女の二者は特に分かってこれを称すればこそ爾かく男女と別るれども、そもそも人類たるの大段落に至ってはかつて少しも相異なることなければなり。同じくこれ人なり、しかして甲には権利ありとなし、乙には権利あらずとなす、これ自ら撃切するものと謂わざるべけんや。むしろ上帝人を造るの初めにおいて甲の人の額には『汝権利あるべし』との七字を印し乙の人の額には『汝権利あらざるべし』との九字を印するなどの約束あらんには、世間あるいはこれを証拠として甲には権利を有せしめ、乙には権利を有せしめざるも可ならん。ただ上帝の人を造る至公、至正、決して甲の人の額には『汝権利あるべし』と印し、乙の人の額には『汝権利あるべからず』と印するが如き、偏仁偏愛なきをいかんせんや。(中略)それ男もまた人なり、女もまた人なり。男もまた幸福を享けざるべからず、女もまた幸福を享けざるべからず。あに男子に権利ありて、しかして女子には権利なしとの道理あらんや。(後略)」(『植木枝盛選集』家永三郎編所収)