苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

全焼のいけにえ

「内臓と足は、水で洗わなければならない。祭司はこれら全部を祭壇の上で全焼のいけにえとして焼いて煙にする。これは、【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物である。」    レビ記1:9


 レビ記1章は燔祭すなわち全焼のいけにえの規定である。新改訳の「全焼のいけにえ」という訳語は火災現場を思い浮かべる無粋さだが、内容を正しく表現している点では、すぐれている。その特徴は、祭司の取り分ゼロで、いけにえのすべてを煙として、天に昇らせることによって、神への献身を表現すること。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。」(申命記6:5)と、「尽くし」「尽くし」「尽くし」と三度重ねる主への愛の命令を、この全焼のいけにえはよく表わしている。
 といって、まことの神は聖なるお方であって、無限抱擁の汎神論的神ではない。汚れをささげるわけには行かない。だから内臓の汚物、足を汚している泥は水で洗われなければならないとされている。
 罪を告白し、知性も感情も意志もこのからだもすべて主にささげますと決意を新たにして、この新しい一日を出発する。

 今日は一日降雪となるようである。