苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ヤコブとラバン

「私はこの二十年間、あなたの家で過ごしました。十四年間はあなたのふたりの娘たちのために、六年間はあなたの群れのために、あなたに仕えてきました。それなのに、あなたは幾度も私の報酬を変えたのです。」創世記31:41


 新年を迎えたので、聖書通読を創世記からあらためて始めた。今回はスピードを上げて読もうと思っている。
 兄を出し抜いて長子の権利も、父からの祝福も奪い取ったヤコブは、兄の殺意から逃れるため母の故郷カランに逃れて行った。メソポタミアの二つの川の源流域である。
 そこで出会ったのがラバンという食えない男、母の兄だった。ラバンはヤコブと約束しては、ヤコブが出てゆくあてがないことをよいことに、その約束を幾度もたがえた。詐欺師が詐欺にあったようなものだった。狐が狸に騙されたようなものだった。量るように量られるということか。すえつくりである神が、ヤコブという石ころを多く含む粘土をぐいぐいとこねていらっしゃるのか。
 ヤコブとラバン。この狐と狸のやりとりを、創世記記者は、なぜかほかの記事と比べるとアンバランスなまでに丁寧に記録しているのが不思議である。ヤコブは変な男であるが、とにもかくにも神の祝福にたいして貪欲なばかりにであることに学びたい。