15:23わたしを憎む者は、わたしの父をも憎む。 15:24もし、ほかのだれもがしなかったようなわざを、わたしが彼らの間でしなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし事実、彼らはわたしとわたしの父とを見て、憎んだのである。
ヨハネ福音書15:23,24
イエス様がこの世に来られたとき、イスラエルでは神政政治が行なわれ、律法に基づいた生活がなされていたはずだった。彼らは神に選ばれた世界に類のない民族であって、自分たちは神に愛され神を愛していると思っていた。にもかかわらず、彼らのもとに父なる神が御子をメシヤとして遣わされると、彼らは御子を憎み、父なる神を憎んでいることを証明してしまった。なんということだろう。
物質主義、無神論、快楽主義にふける民が、聖なる神が遣わされたメシヤを拒んだというならば、話はわかりやすい。だが、聖なる民と自負しメシヤを待望していたイスラエルが、実際にメシヤが来られると殺してしまったことは、なんという皮肉なことだろう。人間の罪というものが底知れず深いことを思い知らされる。