苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

自民改憲案の問題点(その4)・・・・9条改変と集団的自衛権

●9条改変
 20条で靖国神社公式参拝合憲化と、戦争放棄条項9条の改変は当然セットになっている。戦争を効果的にしうるために20条改変を行なおうとしているのである。

日本国憲法
二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これに対して自民改憲案の特徴は
1「戦争放棄」という章そのものがなくなり、「安全保障」となる。
2 自衛権を確認し、国防軍を設置する。

自民党改憲案2012年4月27日版
二章 安全保障
(平和主義)
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
国防軍
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
(領土等の保全等)
第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。


集団的自衛権議論のおかしさ
 ついでに、「集団的自衛権」について少しだけ書いておく。「同盟国が第三者から攻撃を受けたときには、自国が攻撃されていなくても友邦としてその第三者を攻撃する権利であり、同盟国として当然だ」という。どこが当然なのか、さっぱりわからない。
 あなたにAさんという友だちがいるとする。AさんがBさんと喧嘩をしていたら、あなたがBさんと仲が悪くもないのに、Bさんを殴りつけるのは正しいのか?正しいわけがない。二人の争いは二人の争いとして任せて置くのが正常である。両方から仲裁を頼まれたならば、双方の言い分をよくきいて仲裁することが正しい。こんな常識もわからない人が政権を取ったら危ない。箴言にはこうある。

  自分に関係のない争いに干渉する者は、
 通りすがりの犬の耳をつかむ者のようだ。  箴言26:17

 実際には、この集団的自衛権をうんぬんしているのは、米国の手下になるためである。戦争をし続けないと経済がもたないといういわゆる「戦争中毒」という病に陥っている米国に協力するために、集団的自衛権を行使可能にするというのは危険極まりない。上のたとえでいえばAという友達が喧嘩好きで、あちこちで喧嘩をするたびにその喧嘩の付き合いをさせられるのである。兵器製造でもうけようとする「死の商人」は後押しするだろうが、国民にとってはとんでもないことである。 戦争中毒については、以前に書いたことを、ここに引用しておく。

「戦争中毒」ということばがある。米国が罹っている重度の経済・軍事的病気のことである。米国はおよそ3000万人が軍事関連産業に携わっているという数字を読んだことがある。兵器というものは他の製品とちがって、戦争をしなければ消費しない。しかも、10年以上たつと旧式になってしまう。だから戦争がないと兵器業界が不景気になってしまう。そこで、米国は10年ごとに「在庫一掃セール」をする。戦争を作り出すために、産業界は政府に圧力をかけ、戦争好きな大統領が選ばれるように画策する。ブッシュ大統領はその典型であった。米国は、戦争がわが身を滅ぼすと知っていながら、戦争がなければ生きてゆけなくなってしまっている。
 産業界はいったん軍事をもって維持する構造に陥ってしまうと、もはやその戦争中毒=戦争依存症から抜け出ることができなくなってしまう。死の商人たちは「愛国者」の顔をして、周辺事態の軍事的脅威をマスメディアを通して宣伝し、祖国の危機を訴える。国民はマインドコントロールされて、仕方ないかと考える。軍事費はますます拡大して国民生活を圧迫する。

 そもそも「集団的自衛権」というものは、覇権国が自分の支配下においている国に独立運動が起ったとき、これに介入することを正当化する口実としてひねり出されたことなのであって、米国の覇権の下に置かれている日本のような国が口にするような話ではない。たとえば、ソ連チェコに自由化運動「プラハの春」が起ったとき、これに戦車隊をもって介入して押しつぶしたとき、「集団的自衛権を行使した」とへ理屈をつけたし、米国は1960年以降ベトナム戦争南ベトナム政府を支援したことは集団的自衛権の行使だと理屈をつけた。これは下記を参照。

佐瀬昌盛集団的自衛権
http://books.google.co.jp/books?id=nlOeXhq1wXgC&pg=PT67&lpg=PT67&dq=%E9%9B%86%E5%9B%A3%E7%9A%84%E8%87%AA%E8%A1%9B%E6%A8%A9%E3%80%80%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B3&source=bl&ots=h-tSgildxu&sig=YMAfq24I1GFHbRWHh1Mv1RdaQTo&hl=ja&sa=X&ei=k5i-UNHEE6WyiQeeqYFo&ved=0CCoQ6AEwAA