苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

自民改憲案の問題点(その3)・・・・20条の改変「政教癒着」

日本国憲法
二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない

自民改憲案2012年4月27日
第二十条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない


 自民改憲案が意図していることは、明確である。岩手靖国訴訟で違憲と確定された天皇および総理大臣をはじめとする公務員の靖国神社公式参拝を「社会的儀礼・習俗的行為」だとして合憲化することである。さらには、公教育において子どもたちに靖国参拝護国神社参拝されることも合憲化される。彼らが言う「日本を取り戻す」というキャッチフレーズの「日本」とは、「天皇を中心とする神の国」にほかならない。
 靖国神社は「心ならずも戦争で死んだ」兵士たちのための追悼施設ではない。靖国神社は、英語ではWarshrineつまり戦争神社と呼ばれるように、日本国民を戦争へとかりたてるための戦死者の顕彰施設である。戦前、他の神社は内務省の管轄だったが、靖国のみは陸海軍の管轄下にあったことからも、はっきりと戦争神社としての性格がわかる。戦後は一宗教法人となっている。靖国神社では、天皇のための戦争で死んだ軍人にかぎって、護国の神々としてまつられ、現人神である天皇がこれに参拝するということで、戦死した兵士の遺族たちの悲しみが厭戦気分に陥ることを防止し、かえってその悲しみを愛国心へと昇華させ、戦闘意欲をかりたてるための装置であった。
 天皇および公務員が靖国神社公式参拝することは、ふたたび国営化することに道を開く一歩となることであり、それは日本の悲惨な再軍国化への一歩ともなる。「うちの息子は、夫はせっかくお国のために死んだのに、戦争に負けたとたんに、英雄どころか犯罪者扱いにされた」という戦没者遺族の悲しみと恨みは、自分がその立場だったらと思うと、わからなくはない。けれども、それがある政治家たちに利用されたり、戦争によって利益を得る勢力に利用されてきたことは残念なことであった。当の宗教法人靖国神社自体は、政治に巻き込まれて廃絶の危機にさらされた経験から、国営化を望んではいないということである。
 聖書的観点からいえば、国家権力が国家宗教と癒着するときというのは、国家に悪魔が強く影響をおよぼしている危険なときである。よって、その癒着が起こらないように未然に防ぐことが、国民にとって賢明なことである。もし自民改憲案が施行されるようなことになれば、我が国はふたたび軍国化による滅亡への道を歩みだすことになる。筆者は、この国を滅びることを望まないし、わが子や孫が戦場に引き出されることを望まないので、これに反対する。

13:1わたしはまた、一匹の獣(=国家)が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。 13:2わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍(=悪魔)は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。 13:3その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、 13:4また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。 13:5この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。 13:6そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。・・・・13:11わたしはまた、ほかの獣(=にせ預言者・国家宗教)が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。 13:12そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。
                    (黙示録13章抜粋)
*カッコ内の注は、筆者による。