苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

自民改憲案2012年度版の問題点(その1)・・国民主権、あやうし。(改訂版)

 自民党憲法改正案2012年度版を見た。下記でpdf版を読むことができる。
http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf

 ざっと見て、多くの点に疑問を感じ欠陥があるので、今後、何点か取り上げて行こうと思う。今回は、この改憲案を作った人は、立憲主義、あるいは、そもそも憲法とは何なのかをごぞんじなのだろうか、という点について。
 現行憲法99条と自民改正案第102条を並べてみる。

現行憲法
第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

自民党改憲案2012年4月27日版
第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う

 憲法とはなにか。ウィキペディアの「立憲主義」の項目にごく常識的な説明がある。

立憲主義(りっけんしゅぎ、英: Constitutionalism)は、多義的な概念であるが、国家の統治を、憲法に基づき行う原理、ないし、憲法によって権力の行使を拘束・制限し、統治機構の構成と権限を定めて、権利・自由の保障を図る原理をいう。

 国家権力は法と武力という強制力を備えた統治機構であるので、暴走すると主権者である国民にも噛み付き、食い殺しかねない。だから、ホッブズは国家をリバイアサン(聖書ヨブ記に出てくるレビヤタンという怪物)と呼んだ。だから、リバイアサンが暴走しないように縛り付けておく鎖が必要である。それが憲法である。憲法とは、主権者である国民が、国家の統治を委ねた国家権力者が暴走しないように抑制し正常に機能させるための道具である。
 だから、現行憲法は、国家機関はこの憲法を尊重し擁護する義務を負うと規定している。主権者である国民が、権力者に対して「この枠の中で、下位の法律を決めて、国を治めるように」と枠付けをするのが憲法というものなのである。
 ところが、自民改正案2012年4月27日版は、国民に憲法尊重義務を課している。あたかも、あるじが、リバイアサンを縛る鎖で自分も縛るべきだという、立憲主義からいえば不適切な文言というほかない。実際には、国家権力は法と武力を持っているのだから、縛られるのは国民の側となってしまう。
 この改憲案を書いた人は、立憲主義というものについてご存じないのだろうか?まさか、そんなことはあるまい。そうでないとしたら、意図的に大日本帝国憲法の「外見立憲主義」に戻ろうとしているのだろう。外見立憲主義とは、表面上、近代国家の体裁を整えるために憲法を立てているけれど、その憲法は実は「権力者が国民を制限するための道具」であるという考え方である。
 もし、この自民党憲法改正案2012年4月27日版が、実際に、施行されることになると、日本の国民主権は危うくなる。
 改憲案102条にはもう一つ不審な点があるが、それは明日。


☆こちらも参照「そもそも憲法とはなにか?」
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20091214/p1



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