苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

小川政弘 「妻へ」 終章


≪詩三連≫  妻へ −終章−

あれは1995年 元旦の朝だった。
君は風邪で高熱を出し、元旦礼拝を休んだ。
家には君のお母さんと君の二人だけ。
君の心に み霊がささやかれた――
「階下に降りて、あなたの母に み言葉を語りなさい。」


君は詩篇121篇を開いて母に読んであげた。
「私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。……」


君の心の中に
救われてからの主の恵みの一つ一つの記憶が
次から次とあふれ出てきた。
「お母さん、私は神様がいなければ生きられなかった。
エス様を信じてからの30年
後悔したことは一度もなかったわ。」
「ああ、分かってる。みんな知っているよ。」
「その神様の愛は、お母さんにも注がれているのよ。
一緒に天国に行こう。イエス様を信じようよ。」
二人はいつしか泣いていた。
そして母は涙でクシャクシャの顔を上げて言った。
「うんうん。私もイエス様を信じるよ。」


君が救われて30年間 祈り続けてきた母だった。
働きながら女手一つで4人の子を育てた気丈な母が
喜びの洗礼を受けてからは
まるで幼子のように素直な晩年を過ごした。
家庭礼拝で毎週少しずつ覚えた詩篇23篇は
やがて認知症介護施設に入り
子供たちの見分けがつかなくなっても
召される最期まで忘れなかった。


“あの人だけは無理”と君が言っていた一番下の弟も
君の祈りの中で救われた。
そして君は今日も、まだ信じていない兄妹2人と
甥姪たちのために祈っている。
体がいよいよ弱くなって何もできなくなっても
君は祈り続けるだろう。
「主イエスを信じなさい。
そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
このみ言葉がかなえられる日を信じて――。


佳子(よしこ)、そんな君は僕の誇りだ。
君の祈りに、僕も寄り添わせてもらうよ。