作者のお許しをいただいて三連の詩の一つ目を掲載いたします。
(散歩道、遅咲きの朝顔)
≪詩三連≫ 妻へ −その1−
「死ぬのも勇気が要るのよ。」
自殺少女のテレビニュースを見ていた妻が
ポソリとつぶやいた。
見ると目に涙を滲ませている。
妻は もう50年も前の
あの日の朝を思い出していた――。
16歳で結核を発病した妻は
どんどん進行する病に絶望し
家人の留守にガス栓を抜き 自殺を図ったという。
いよいよ入院、手術という朝
「死ぬなら家で死にたい!」と
柱にしがみついて泣き叫んだという。
3度の手術に耐えた妻は
病床でキリストを信じ、主に在る新しい命を与えられた。
その妻との結婚を主に迫られた時
私は必死で祈った――
「私の恵みはあなたに十分である。
私の恵みは弱いところに完全に現れる。」
示されたみ言葉に、私は全てを委ねた。
「再発したら死ぬだろう。」…私は覚悟した。
「60まで生きられたらいいの。」…妻は言った。
あの日から42年の歳月が流れ
妻は齢(よわい)70を超えた。
だが肋骨9本を取った妻の肺は
この数年、急速に機能を弱めた。
40年間続けた家庭集会をやめ
一番の楽しみだった世界旅行をあきらめ
婦人会活動ができなくなり
礼拝出席がやっとになった。
妻のか細い肩に
日課となったマッサージをしながら
私は心でそっと語りかける。
「何もできなくていい。
そばにいるだけでいいんだ。
生きていてくれるだけでいいんだよ。
君の荷は
主が負ってくださったように僕が負うから。」
主よ、今が一番幸せです。
感謝します。
≪詩三連≫ 妻へ −その2−
「たとい わたしは死の影の谷を歩むとも
わざわいを恐れません。
あなたが わたしと共におられるからです…。」
手術室に入って行く時
君はこのみ言葉を唱えたんだね。
体質で全身麻酔ができず
局部麻酔で肋骨を切るノコギリの音を聞きながら
君は何度も このみ言葉を口ずさんだんだね。
それは病院伝道の人たちが
教えてくださったみ言葉。
君が最初に覚えたみ言葉、詩篇23篇。
その夜
君の胸の上には
空洞が広がらないように
重い砂袋が置かれていた。
息が止まるかと思う苦しさの中で
君は十字架の主を見た。
血潮したたる両手を広げ
「大丈夫。私が負うから」と言う主のみ声を
君は はっきり聞いた。
そして主を信じたんだね。
その君の荷を
生涯 共に担おうと心に決めて
僕は君と結婚した。
1970年4月29日
主のよみがえりのイースターだった。
「主はわたしの牧者であって
わたしには乏しいことがない。
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わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしは とこしえに主の宮に住むでしょう。」
あの日から
主は僕たち二人の牧者になられたんだね。