苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

プラスアルファの心


      もう秋だというのに、大きなヒマワリが咲いていました。



「わたしが娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください。』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたの
ラクダにも水を飲ませましょう。」と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」
 こうして彼がまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出てきた。・・彼女は泉に下りて行き、水がめに水を満たし、そして上がってきた。しもべは彼女に会いに走っていき、そして言った。「どうかあなたの水がめから、少し水を飲ませてください。」すると彼女は、「どうぞ、お飲みください。だんなさま。」と言って、すばやく、その手に水がめを取り下ろし、彼に飲ませた。彼に水を飲ませ終わると、彼女は、「あなたのラクダのためにも、それが飲み終わるまで、水を汲んで差し上げましょう。」と言った。
                 創世記二十四章十四―十九節


 これは族長アブラハムのしもべが、ご主人の息子の花嫁を捜しにアブラハムの故郷に旅したときの出来事である。しもべは、主人のご子息にふさわしい嫁の条件とはなにか神にどう祈るべきかと、荒野を行く旅の道々考えていた。「ご子息は面食いだから美人であることだろうか?いやいややっぱり健康であることだろうか?・・・」目的地に到着するころには、しもべの思いは定まっていた。アブラハムの故郷の町の井戸に到着すると、しもべはただちに神に向かって祈った。「その娘は、私が水をくださいと言ったなら、『どうぞ』と進めてくれる人であり、さらにプラスアルファして『あなたのらくだにも水をのませて差し上げましょう。』という娘であるように。」と。
 彼の祈りはただちに答えられた。それはリベカという娘だった。聖書によるとリベカはたいそう美人だったそうである。けれどもリベカの最大の美点は、プラスアルファの心を持っていたことである。「水をください」と言ったら、「はい、どうぞ」と水を差し出すだけでなく、さらに「お疲れでしょうから私がラクダさんにも水をあげましょう」と言って、すぐにサービスできる心。しかも、それがおせっかいでなく、ごく自然であったのは、彼女が、日ごろから相手の必要に敏感に答えたいという優しい心をもち、人のために骨惜しみをしない習慣がもう身についていたからであった。
 「ラクダにもお水を。」こんな小さなことが、彼女に思いがけぬ幸せをもたらすことになった。いや、よく考えてみるとこれは小さなことではない。ラクダが水を飲むのを見たことがある。その量は半端ではない。底なしである。ラクダが満足するほど水を汲みましょうという親切もはんぱではないのだ。
 自分の利益になること以外はなにもしないということを信条としているような人は涸れた泉。頼まれたことは、苦情が出ない程度にやっておこうという人はため池。しかし、人に頼まれたら、なにかプラスアルファしてあげたいという人は、こんこんとあふれる泉。神はこういう人を祝福しないではおかない。