「同じ時期に牧師として出発した人たちはたくさんいたけれど、今の歳になって見回してみると、牧師としての働きを続けている人は存外少ないのです。ぼくは自分が強かったとは思いません。弱い自分が、ここまで続けて来られたのは、ぼくは同労者に恵まれていたからだと思います。水草君も、同業者ではなく、同労者を得ることに心がけるように。」
駆け出しであったころ、大先輩のY牧師がこのように話してくださったことを憶えている。同業者ではなく同労者。同業者の場合、「あいつの成功は私の悲しみ、あいつのの失敗は私の成功」ということになってしまうだろう。だが、同労者の交わりは、「喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣く」ということである。
私は同労者に恵まれてきたのだなあと、昨日、小海を会場に宣教区の教師会をしていて改めて思った。
「私の兄弟、同労者、戦友・・・」(ピリピ書2章25節)