苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

天国で一番偉い者

 弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも、悔い改めて子どもたちのようにならないかぎり、決して天の御国には、はいれません。だから、この子どものように、自分を低くする者が天の御国で一番偉い人です。」(マタイ福音書十八章一―四節)


 イエス様の弟子たちは、しばしば「だれが一番偉いのか?」と言って議論をしました。また、「イエス様がやがて王様になったら誰が左大臣になりだれが右大臣になるのか」と言い争いました。イエス様が十字架にかかって三日目に復活されるまで、弟子たちはイエス様の教えの真意を悟ることができなかったのです。弟子たちは、イエス様が当時ユダヤを支配していたローマ総督を追い出して、エルサレムで王位につくものとばかり勝手に思いこんでいたのです。
 こうした弟子たちは、多くの人にかしずかれ、人をあごで使うような者こそが一番偉い者であり、人に仕える者はいやしい者であるという価値観を持っていました。弟子たちだけでなく、今日私たちが生きているおとな社会の価値観も似たようなものでしょう。葬式のあと多くの人が「牌寄せ」の席順争いで面子をきそっているのを見れば、一目瞭然ではありませんか。
 「さあ、こっちにおいで。」とイエス様は小さな子どもを呼び寄せました。子どもはイエス様が大好きでした。さっと駆けてくるとイエス様を見上げてにこにこ顔です。イエス様は、この小さな子どもが弟子たちの先生だとおっしゃるのです。「君たちは、自分が偉い者で、天国に入れて当然であり、そこで誰が一番の席に着くのかと争っているが、それどころじゃない。悔い改めて子どもたちのようにならないかぎり、天国にはいることすらおぼつかないよ。」
 「子どものように自分を低くせよ」とイエス様はおっしゃいます。なんと言っても子どもは自分が小さな者であることを知っています。お父さんお母さんがいないと、自分は食べていくことも生きていくこともできないことをよく知っています。デパートでお父さんお母さんが見えなくなったら、アンアン泣き出すのが子どもです。子どもは自分の弱さをよく知っています。子どもには太陽が上ることも、息ができることも、じゃがいもをまいたらたくさんに増えることもみな不思議な神様の恵みです。
 ところが、おとなは傲慢です。愚かなことに、自分の力で自分は生きているなどと思いあがっています。太陽も、大地も、空気も、食べ物も、健康も、いのちそのものも、たいていは、あたりまえだと思っています。すべてが神様の恵みなのに・・・。人は生かされて生きています。自分の傲慢を悔い改めて「神様、ごめんなさい。私は思いあがっていました。」と申し上げましょう。たましいに平安が来ます。



   タマネギ