苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

皇統は武烈と継体で切れている

 日本紀をつらつら読んでいるとこんなことも書いてあった。第25代「武烈天皇は57歳で、8年12月8日におかくれになった。もとより男子も女子もなく、跡嗣が絶えてしまうところであった。」そこで、12月21日、大伴金村大連がみなに議って、「・・・仲哀天皇の五世の孫の、倭彦王(やまとひこのおおきみ)が丹波国桑田郡においでになる。・・・」と発案し、少々手間取ったが、これが実現したのが継体天皇である。今の天皇家継体天皇の子孫ということになる。
 それにしても、「五世の孫」といえば、えらく離れている。いや、事実上、ほとんど他人に等しい。五代目といえば、本人を入れて数えたとして子の子の子の子が五代目である。逆に、私から五代前といえば、父の父が明治の後半生まれの人で、その父は江戸時代末期の人で、その前の江戸時代の父が五代前である。もはや他人である。だから、実質上、武烈天皇継体天皇のところで、「皇統」は切れている。
 日本紀によれば、武烈天皇と言う人は、母親の腹を切り裂いて胎児を見たとか、人の生爪を抜いて山芋を掘らせたとかいう残虐嗜好の異常者であったから、むしろ、ほとんどここで切れているというほうが持統天皇家にとっては都合がよかったのかもしれない。あるいは、このあとに続く継体天皇の正当化のためかもしれぬ。

<同日追記>ここで実は王朝の交代があったといううがった解釈もある。つまり、武烈を悪逆非道の人として描くことによって、政権交代を正当化したのだというわけ。あるいはそうかもしれない。

  今朝、散歩道で見かけたスグリ