苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

平山郁夫シルクロード博物館

 小学6年生のとき、図書室の本を整理するために、あまり読まれていない古い本を好きに持ち帰っていいと言われたことがあった。筆者はたしか三冊もらった。一冊は日本の古代史の本、一冊は『ジンギスカン』、そしてもう一冊は『マルコ・ポーロ』だった。
 家に帰っていつものように畳の上に寝転んで読むと、ベネチアをたって、フビライ・ハンがいる元の都へと旅したマルコ一行の不思議な体験の数々が記されていて、興味が尽きない。灼熱の砂漠に起こる熱い砂嵐のとき、砂漠の町の人々は水がめに首まではいってしのぐのだとか、旅をする湖、現れては消える町の話だとか、モンゴル人たちにおける美人の基準はヨーロッパのそれとはまったく正反対だったとか、ジパングの話だとか・・・。
 以来、筆者はいつかシルクロードを歩いてみたいものだなあなどと夢想するようになった。高校のときも世界史における東西交渉史がおもしろいなと感じた。従来の高校教科書で世界史といえば、ほとんど西洋史、中国史が別々だったのだが、筆者の高校のころようやく、少しだけ東西交渉史について扱い始めていたのである。

 ところが、水曜日にひさしぶりにたずねて来てくださった隣村のYさんが、シルクロードの話を始められた。なんと、Yさんはつい最近シルクロードに出かけたというのである。そして、甲斐小泉にある「平山郁夫シルクロード美術館」のことをすこし話題にされた。で、今はどんな展示がなされているかを調べると、平山画伯の常設にくわえて、ガンダーラ高句麗古墳展がなされているという。シルクロードにはかんたんに行けないけれど、甲斐小泉ならばすぐそこだ。家内と出かけることにした。
 だがきょうは詳しいことを書く暇がないので、ごくかんたんにメモしよう。

 ガンダーラ仏はやたら写実的でイケメンだった。中国、韓国、日本の仏像のように様式化されてしまった、更年期をすぎたモッサリとしたおじさんの悟り済ました姿ではなくて、鼻筋が細く通っており、肉体はブルワーカーで鍛え上げたようで、おしゃれにひげを蓄えているやんちゃそうな兄ちゃんなのだ。特に仏像でなく菩薩像がそうなのである。うーん、横顔が「風とともに去りぬ」のクラーク・ゲーブルに似ているなあ。ギリシャ彫刻の影響なのだ。しかも、ガラス箱のなかにではなく、触れるところに置いてあるのだ。「さわるな」とあるから触らなかったけれど。まあ、とても拝む対象の偶像とは思えない。今で言えばかっこいいフィギュアだ。
 もうひとつは、平山画伯のいくつもの作品。平山氏は高校生のとき広島で被爆している。その体験が、後に、氏をシルクロードを140回も訪ねるという制作活動へと駆り立てていったという。入館料は私設美術館ゆえ1200円と高かったのだが、それだけの値打ちが十分あると感じた。
 全部見終わったらおもしろい記念写真を撮る場所があったので、東方の博士になってみた。

 今週はペンテコステの説教の準備をしていて、使徒の働きの2章に出てくる人々のなかにパルテヤ人(今のイラン、ペルシャの地)、メソポタミア人たちがいたことが気になっている。彼らが最初の東方宣教をした信徒たちなのである。使徒トマスは35年にはペルシャに赴き、50年過ぎにはインドにまで行っていたことがわかってきた。ペルシャ経由のキリスト教が正式に宣教師によって中国に達したのは7世紀だが、近年、中国における発掘で、福音はシルクロード経由でごく早い時期に中国に届いていたことがわかってきた。宣教師が行く前に、商売のために東西を往来していた人々が福音にふれて中国にもちかえっていたのだろう。新約の時代、聖霊はすべての信徒に注がれ、それこそ世界に福音をもたらす力となった。
 

 「神は言われる。
  終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
  すると、あなたがたの息子や娘は預言し、
  青年は幻を見、
  老人は夢を見る。
   その日、わたしのしもべにも、はしためにも、
  わたしの霊を注ぐ。
  すると、彼らは預言する。」  (使徒2:17,18)