苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

詩を愛した友人

 
 大学4年生のとき、今は川崎市登戸で牧師をしている友人のM君から、T君という友人を紹介された。山形出身の人だった。その五月、彼は、安藤仲市牧師をむかえての土浦での特別集会に出席し、初めて福音を聞いたその場でイエス・キリストを受け入れたのだった。
 あとで話を聞けば、「なんでだかわからないんだけど、安藤牧師からキリストの話を聞いていたら、俺は無性に泣けて泣けて仕方がなかった。」と言った。
 以来、折々ともに聖書を開くようになり、人生のこと、卒業後のことなどを語り合うようになった。教員志望の彼は、出身地の山形ではなく、静岡の教員になりたいと願っていた。雪深い山形の人間は、太陽の国、みかんの国にあこがれるのだと言っていた。関西に生まれ育った筆者は、そういうものか、と思った。筆者にとって、東北というのはとても遠いところだった。
 「雪深い東北の日本海側は貧しいところなんだ。人間は、働いて働いて働いて働いて、そして、死んでゆく。おれの親父もお袋も、何の楽しみもなく、おれや姉を学校にやるためにただただ苦労ばかりして働いてきた。」
 そういうT君は白樺派の貧しい者へのやさしい視線を感じさせる千家元麿の詩を好み、読んで聞かせてくれた。

     三人の親子


或年の大晦日の晩だ。
場末の小さな暇さうな、餅屋の前で
二人の小供が母親に餅を買つてくれとねだつて居た。
母親もそれが買ひたかつた。
小さな硝子戸から透かして見ると
十三錢と云ふ札がついて居る賣れ殘りの餅である。
母親は永い間その店の前の往來に立つて居た。
二人の小供は母親の右と左の袂にすがつて
ランプに輝く店の硝子窓を覗いて居た。
十三錢と云ふ札のついた餅を母親はどこからか射すうす明りで
帶の間から出した小さな財布から金を出しては數へて居た。
買はうか買ふまいかと迷つて、
三人とも默つて釘付けられたやうに立つて居た。
苦るしい沈默が一層息を殺して三人を見守つた。
どんよりした白い雲も動かず、月もその間から顏を出して、
如何なる事かと眺めて居た。
然うして居る事が十分餘り
母親は聞えない位の吐息をついて、默つて歩き出した。
小供達もおとなしくそれに從つて、寒い町を三人は歩み去つた。
もう買へない餅の事は思は無い樣に、
やつと空氣は樂々出來た。
月も雲も動き初めた。然うして凡てが移り動き、過ぎ去つた。
人通りの無い町で、それを見て居た人は誰もなかつた。場末の町は永遠の沈默にしづんで居た。
神だけはきつとそれを御覽になつたらう
あの靜かに歩み去つた三人は
神のおつかはしになつた女と小供ではなかつたらうか
氣高い美くしい心の母と二人のおとなしい天使ではなからうか。
それとも大晦日の夜も遲く、人々が寢鎭つてから
人目を忍んで、買物に出た貧しい人の母と子だつたらうか。

 採用試験の結果、静岡への道は開かれず、T君は故郷の教員となるために帰っていった。別れ際、彼は私に千家元麿の詩集を手渡してくれた。詩集の水色の扉にはこう書いてあった。

 

 水草


   愛、そして 祈り


 1982.3.17 早春の麗日

       T.R.