苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

山形開拓伝道

 昨晩は武藤正信牧師が教団レベルの山形開拓伝道の報告においでくださった。武藤牧師とは神学生時代に一年間重なっていて、伝道者になってからは、練馬にいたころ、隣の朝霞聖書教会にいらして5年ほどお交わりをいただいた。師はその後、天竜に転じられてそこで長きに渡ってご奉仕されて後、二年前に教団レベルの山形開拓伝道の伝道者公募に手を挙げられた。六十を過ぎて、エイヤッと決断なさったのである。
 「山形県については、ほとんど具体的なイメージが湧かないねえ」と妻と話をしていた。山形といえば、私にとってはキリスト教独立学園高校がある場所だなあということくらいかな。ああ、それから、大学時代のTくんという友人が山形の人だった。詩を愛する彼が、別れ際にくれた白樺派千家元麿の詩集は今も私の本棚にある。妻にとっての山形はサクランボ。
 だが、先生の山形の紹介をうかがううちに、「ああ、あれも山形か」と思うことがいくつかあった。花笠祭りというのは山形の祭りで、笠につける花はベニバナなのだそうだ。そういえば「おもひでぽろぽろ」とか言う映画でベニバナ栽培の農家の話があったな。あれは山形の農家だったのだろう。芋煮会というのは、山形の秋の風物。うかがえば、他県の芋煮が豚肉でつくるのに対して山形の芋煮は牛肉でつくるので高級なんだと自負しているそうだ。おもしろい。
 山形市の話に及んだとき、山形市の東に蔵王があると、写真を見せてくださった。蔵王の噴火口の御釜の前でのご家族の記念写真である。ああ、見たことがある。蔵王ならば、高校の修学旅行で山登りをした山だった。私の高校時代の学年には山岳部の先生が3人もいたせいで、なにかというと山登りをさせられたが、修学旅行では磐梯山蔵王に登ったのだった。不思議な緑青色をしたお釜の水の色が記憶によみがえった。
 武藤先生の報告会が終わって、松原湖バイブルキャンプにお送りして帰宅したら、妻が「武藤先生は謙遜な方ねえ。」と言った。それは先生が報告会の最後のみことばの分かち合いの時、「朝の祈り」というご自分が伝道者としての霊性を維持するために工夫して実践してこられた祈りのプリントをおわかちくださったことに関してである。

「神は、実に、そのひとり子イエス・キリストをお与えになったほどに****を愛された。
 それは御子キリストを信じる****が、決して滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」


 主よ。あなたのあわれみを心から感謝します。


 主よ。しもべはきょうもあなたを愛します。
 主よ。しもべはきょうもあなたを喜びます。
 主よ。しもべはきょうもあなたにお従いします。


 主よ。あなたがいつもしもべとともにいてくださることを感謝します。

(後略)


 と呼びかけから始まるこの祈りをもって、毎朝、ご自分と神様との関係を点検し、主の御霊に満たされて、一日を始めていらっしゃるということだった。
 やってもやっても見える成果がなかなか上がらない開拓伝道の働きを、また、無から有を生み出すような開拓伝道の働きを、目先の現象でめげることなく喜びと忍耐をもって続けていらっしゃる武藤牧師の秘訣をうかがうことができて、たいへんありがたいことだった。山形での開拓伝道に、主が祝福を注いでくださり、救われるたましいが備えられ、神様のご栄光が豊かにあらわされるようにと祈る。
 「ああ、それに武藤先生って明るい人ね。」と妻が付け加えた。あの明るさはともにいます主の輝きなのだろう。

(写真はWikipediaより)