苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

あの日から1年

 去年の三月十一日、筆者は松原湖バイブルキャンプ場にいた。関東地区KGK春期学校の三日目だった。アブラハムにかんする四回のお話が終わって、少し名残惜しい気持ちで、学生たちと話をしていた時である。
 突然、湖畔の建物が揺れ始めたが、いつもと違ってグーラグーラグーラという初めて経験する長い周期の揺れである。しかも、いつまでもやまない。二分ほども続いただろうか。近々、宮城沖、東海地方に長周期型地震が来ることは予想されていたことなので、「ああ、宮城沖か東海のどちらだろう?宮城沖なら仙台のHさん夫婦、A先生は大丈夫だろうか。静岡ならM先生、Y先生はだいじょうぶだろうか。それに宮城沖ならば女川原発、静岡ならば浜岡原発は大丈夫か?浜岡なら風向きによっては、このあたりまで放射能がくるかもしれない。さて、どうするか。」そんなことが一瞬のうちに頭の中をめぐった。学生たちの中にはいつまでもやまない揺れに、不安で泣き出す女子学生たちもいた。
 いったん自宅に帰って、情報を集めてみて、地震は予想されていた宮城沖だけでなく、その南北に長大な広がりを見せていることと、あの恐ろしい津波の被害を知った。ただ原発については、女川原発は高い位置に造られたので破綻を免れたが、福島第一原発は破綻し暴走し始めて、その後、爆発、また爆発となってしまった。
 実は、その前夜の三度目の説教で筆者は、アブラハムの生涯における、とりなしの祈りについて話したのだった。アブラハムは神によってカナンの地の相続人として選ばれていた。ところが、彼の相続地カナンの低地の町を巨大な天変地異が襲おうとしていた。そこには彼の甥であるロトとその家族が住んでいた。アブラハムは神の前にひれ伏して、数時間にわたって、必死でこれらの町のためにとりなし祈ったという話である。その説教中で、筆者は宮城沖地震東海地震が近いことと、もしその地震が来ればそれぞれ女川原発浜岡原発が破綻するであろうと話し、この国のために悔い改めてとりなし祈るべきだと発言したのだった。
 学生たちは、十一日の夜、集会の予定を変更してこの国のため祈った。被災地の救援活動ために、また、原発の事故収束のために命を賭してたたかっている方たちのため、この危機におけるこの国の首相のために、放射能の被害が最小限に抑えられるために風向きを神が支配したまうようにと熱心に祈った。
 翌週月曜日、筆者の属する日本同盟基督教団では対策会議を開いて、若手の理事がふたりただちに被災教会に安否を尋ねるため赴いた。筆者は、二十二日に、茨城と福島県いわき市勿来の友人夫婦のいる教会を訪ねた。勿来の町は、すでに多くの人は原発の被害を恐れて避難していたが、避難したくても避難できない人々は不安のなかですごしていた。教会はそうした方たちにおにぎりや水やトイレットペーパーなどの物資を提供していた。小海の近所の方たちから寄せていただいた物資もそこにお分かちすることができた。
 あの日から、一年が経つ。いろんなことに驚いたり、考えさせられたりしてきた。人間が積み上げたものは実にはかないものであると痛感し、特に原発について聖書のめがねで読み直してみる必要を感じた。自分でコントロールできもしない原子力を利用してきた人間の傲慢と愚かさ。国家が原発を欲しがるのは、実は核兵器が欲しいからであるからだということ。原発マネーが官界・政界・経済界ばかりかマスコミと学界までも汚染しているために、国民は真実の情報から遮断されているという現実。NHKなど放送局、朝日、読売をはじめとする大新聞とそこに登場する権威ある大学教授たちがいかに偽りに満ちた人々であるかを知って、愕然としたのだった。
 これほどのことを経験した以上、私たちは生き方を根本的にあらためることが求められているのではないだろうか。一年たった今、改めてそう思う。(通信小海2012年3月号に少々加筆)

*大地震発生の確率について
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20110302