苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

帝国陸軍の組織病は今も

 友人に紹介されて山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』という本を読んだ。山本は学徒出陣で敗色濃くなったフィリピン戦線に投入され、惨憺たる戦闘の後に、戦場で敗戦を迎えて捕虜収容所に入れられる。その間に見た、帝国陸軍の実態を鋭い洞察力をもって観察し、帝国陸軍という異様な組織のありようの本質をあきらかにし、それが戦後も日本の会社や官僚組織にも受け継がれているという現実を示唆する。
 鍵となることばは4つと見た。「不可能命令」と「員数合せ」と「組織の自転」。そしてこれらを支えた「皇軍無敵神話」である。現場を知らない参謀が立案した非現実的な作戦命令を受けて、指揮官が下に向かって発令する。たとえば2個大隊と野砲100門をもって、どこそこ方面へ進出し、敵を撃滅せよというふうに。これが「不可能命令」。2個大隊というと2300名ほどだが、現場では仮に人数はいたとしてもけが人病人の兵士だらけで、到底、人員をそろえることができないが、上の命令に背くことは許されない。そこで、一応かたち上、2個大隊を編成する。ただし、実際に戦闘に携わることのできる人数は1000人に満たず、あとは数字だけの兵士たちであるという状況である。足りない人数は精神力で補えとばかりである。これが「員数合せ」である。また、「野砲100門をもって敵を殲滅せよ」という不可能命令がくだっても、現場には発射可能な大砲が20門があるのみであと80門はくず鉄同様であっても、「員数合せ」で一応100門あることにして、足りない大砲は肉弾をもって補えとばかり戦闘に突入して全滅してしまう。現場が「員数合せ」で報告をするので、上の参謀たちは現実がますます見えなくなり、ますます不可能命令を乱発する。山本が従軍した帝国陸軍の現場では、こういうことばかりしていたという。
 下士官の訓練も同様だった。真珠湾攻撃から二年近くたってから徴兵された山本がはいった下士官の訓練機関でようやく「ア号教育」なるものが始まった。ア号教育とは、アメリカを敵国として想定した軍事教育のことである。帝国陸軍は伝統的に大陸でのソ連戦を想定して軍事教育をしてきたが、南方の島々で米軍を敵として戦うことは想定していなかった。だが備えなどなくとも大和魂があれば勝てるという「皇軍無敵神話」で押し切って対米開戦に踏み切ってしまった。そして対米戦争が始まって、緒戦の勝利はつかのま、まもなく南方で敗退につぐ敗退という事態になって、さすがにこのままではまずいとみた参謀本部が2年も経ってから「ア号教育」を発令した。(もっとも、「皇軍無敵神話」によれば帝国陸軍に「敗退」はありえないことになっていたので、「転進」と言い換えていたのだが。)しかも、その対米戦用の教育をできる教官はひとりもいなかったから、この命令は「不可能命令」である。こうした「不可能命令」を受けた士官訓練の現場は、「対ソ連教育」の看板を「ア号教育」看板を取り替えるだけで、中身はなにも変えようがなかった。これまた「員数合せ」である。
 結局、「皇軍無敵神話」というドグマをかかげた帝国陸軍は、上から下の「不可能命令」と、下から上への「員数合せ」による報告という営みをあらゆる方面で行ないつつ、「転進」に「転進」を重ねて、自らと日本を滅ぼした。
 このでたらめさは、いったいなんのためなのだろうか。山本は言う、「どうしてこれほど現実性(リアリティ)が無視できるのか。 それは、帝国陸軍のすべてが、戦争に対処するよりも、『組織自体の日常的必然』といったもので無目的に”自転”しているからだった」。帝国陸軍はその組織がそもそも何のために存在するのかが見失われて、組織そのものが維持されるために自転しているという状態に陥っていた。軍隊でありながら、戦争に勝つという目的を見失って、帝国陸軍というムラが内部でぐるぐると問題なく回転すること自体が目的化していたのである。現場を知らぬ参謀は華々しい不可能作戦を立てて司令官に進言し、司令官は現場に「不可能命令」をくだし、現場は組織の中の自分の立場を守るために「員数合せ」をした報告を上に向かってする。員数合せの軍隊、員数合せの大砲軍、員数合せの士官学校は、結局みな虚構であるから、リアルな米軍の攻撃によってことごとくつぶされてしまった。「皇軍無敵神話」が虚構であるから、その化けの皮がはがされたのである。
 山本七平は、こうした組織のありかたが戦後の日本の会社組織、官僚機構に引き継がれていると指摘する。筆者は、「原子力安全神話」を掲げてきた官僚・政府・東電・東大閥から成る「原子力ムラ」の生態を見て来て、ああこれは帝国陸軍そのままだなという感想を抱いた。自らが滅びるだけでなく、日本を巻き添えにしようとしている。帝国陸軍と瓜二つだ。
 だが、この手のことはあらゆる組織でもありえることであろう。常に原点に立ち返って、いったい何の目的のために私たちの組織はあるのか?何のためにこの企画を推進しようとしているのか?現場はどうなっているのか? こうした問いを自らに常に発して、現場を知らぬ上が「不可能命令」を下し、現場は「員数合せ」をして上に向かって報告することによって、「組織の自転」を至高の価値としていないかを点検しつつ、自己改革を怠らないことが、どんな組織の場合にもたいせつなことである。もちろん教団・教会とて例外ではない。

追記>マトメ
皇軍無敵神話」というドグマの下に、現場を知らぬ上が「不可能命令」を発し、現場が「員数合せ」報告をする。「員数報告」をするから上はますます現実を知らなくなり、不可能命令をする。・・・ 平時ならば、こんな馬鹿なことをしていても、とりあえず「組織は自転」していくのだろうが、熾烈なたたかいの現実を前にすればたちまち滅びていく。
原発安全神話」というドグマの下に、現場を知らぬ原子力安全保安院が、電力会社にストレステストをして安全を証明しろと不可能命令を発し、現場は不利な証拠は隠蔽して「員数合せ」報告をする。員数報告を受けた原子力安全保安院はますまる原発の危険が見えなくなる。・・・地震がなければ、こんなばかなことをしていても、とりあえず原発ムラは維持できるだろうが、地震活動期という現実を前にすれば、たちまちにムラは日本を巻き添えにして滅びてしまう。