イエス様が故郷ナザレに帰って、神のことばを語られたとき、人々は、「この人は大工の息子ではありませんか。」(マタイ13:55)とか、「この人は大工ではありませんか。」(マルコ6:3)と言った。養父ヨセフは大工であり、イエスも息子として生業を継いでいたことがわかる。
クリスマスの季節、どうしてイエス様は人となってこの世にお生まれになるにあたって大工の家をお選びになったのだろうか?と考える。もしかしたら、それは、イエス様の趣味が工作だったからではないかと思ったりするのである。旧約聖書箴言には、「知恵」として御子が現れている。
主は、その働きを始める前から、
そのみわざの初めから、わたし(知恵)を得ておられた。
大昔から、初めから、大地の始まりから、
わたしは立てられた。
深淵もまだなく、水のみなぎる源もなかったとき、
わたしはすでに生まれていた。
山が立てられる前に、丘より先に、
わたしはすでに生まれていた。
神がまだ地も野原も、
この世の最初のちりも造られなかったときに。
神が天を堅く立て、
深淵の面に円を描かれたとき、
わたしはそこにいた。
神が上のほうに大空を固め、
深淵の源を堅く定め、
海にその境界を置き、
水がその境を越えないようにし、
地の基を定められたとき、
わたしは神のかたわらで、
これを組み立てる者であった。
わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、
神の地、この世界で楽しみ、
人の子らを喜んだ。
箴言8:22−31
私は、父のかたわらで楽しげに世界を造っている御子を思い浮かべると、御子はほんとうにものづくりがお好きなのだなと思う。使徒ヨハネも言っている。「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1:3)パウロも「なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」(コロサイ1:16)という。御父の描かれた設計図を具体化して世界をおつくりになったのは御子である。
御父が「お前にはこのたび地上に行ってもらうことになったが、さて、どういう家に生まれるのがよかろう?」と言われたとき、御子は迷わず「はい。大工さんの家へ!」とお答えになったのではないか。・・・クリスマスにそんな空想をする。
寒締めホウレンソウ。とっても甘くておいしいです。