苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神のかたち、キリストをもって一貫すること

 かつて鋤柄和秋牧師による幻の同盟教団信仰告白文草案(1965年)のなかで、アダムが「神の像にかたどって創造され」、「あがなわれたものをキリストの像にかたどらせたもう」と、創造→堕落→救済を一貫して「神の像」「キリストの像」で捕らえている。鋤柄先生は、父熊太郎先生がきよめ派の指導者でいらしたので、あえて「聖化」とか「きよめ」という議論になりがちなことばを用いるのを避けて、もっとも包括的な聖書的表現を用いられたのではなかろうか。あるいは、東方教会のことも視野のなかに入れておられたのかもしれない。
 来年度以降神学校のつとめもなくなって少し時間ができそうなので、筆者はこのことを意識しながら、若い頃に書いた『神を愛するための神学講座』を全面的に書き直すことができれば、と思っている。