苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

岡山敦彦『信仰の眼で読み解く絵画〜ゴッホ・ミレー・レンブラント』


 月曜日、所用で上京し岡山敦彦牧師にお会いしたら、この本をくださいました。岡山牧師は娘さんの英国留学の頃からヨーロッパの美術館を歩く機会を得て、西洋絵画の鑑賞に眼覚められたそうです。その成果の第一冊目が本書です。
 私は高校生、大学生のころまでは風景画を好んで描いていましたが、大学を卒業し、伝道者となってからはさっぱり絵筆をとることはなくなりました。ですが、いつかまた筆を取ってみたいと思っていて、『アトリエ』という絵画の技法シリーズを何冊か書棚に眠らせています。画家はそんなに知りませんが、ユトリロ、ミレー、レンブラントの三人は好きです。本書では、そのうちの二人が取り上げられているので、興味をそそりました。結婚の記念に、三人の友人がお祝いにくださったレンブラントの画集が今も本棚にあって、ときどき眺めます。ミレーを特に好ましく思うようになったのは、18年前に農村伝道をに立ってからでしょうか。帽子をとって頭(こうべ)をたれ、一日の働きを守りたもうた神に感謝の祈りをささげる農夫とその妻の姿、はるかから響いてくる教会堂の晩鐘。あの絵はなんど見ても心惹かれ心静まります。この八ヶ岳の麓でも、こんな光景があちこちに見られるようになったら、どんなにすばらしいだろう、と。
 描くことが趣味だった私は構図、色合い、筆使いの工夫などにはいくらか関心はあったのですが、絵画の鑑賞法については何も知りませんでした。一枚の絵の背後にある画家の生育暦、家庭環境、社会といったものの絵に対する影響といったことについては、さほど関心をもって調べたことはありませんでした。
 けれども、今回、岡山牧師の本を読んで、一枚の絵の背後にある、それぞれの画家の人生模様を知ることになりました。ゴッホはオランダ改革派教会の厳格な牧師の息子であり、長男が死んでその長男と同じヴィンセントという名を付けられて育ったこと、あるいは、彼が一時期、信徒伝道者としての訓練校に入って伝道に携わったことなど、私はなにも知りませんでした。そうした背景を克明に知らされた上で、ゴッホの一連の絵を眺めるとき、見えてくるものがちがってくるという経験をしました。また、ゴッホと対照的な環境に生まれ育ったミレーとの比較によって、神がそれぞれに与えた苦難をも含めた賜物について考えさせられました。
 そして、本書のなによりの特徴は、絵画鑑賞の文章のなかにちりばめられた聖書的講話・牧会談義です。世界に絵画鑑賞の本が何千とあったとしても、こんな特色ある本は他にないでしょう。本書はもともと『画家と説教者』という題名で書かれる予定だったそうです。また、絵画の制作と説教の作法の類似についての文章はおもしろく、ミレーの働く農民の姿を描くどの作品も宗教画であるという解説は、それ自体説得力があります。レンブラントの「放蕩息子の帰還」における絵のなかの人物がいったい誰であり、その人物たちの配置が何を意味しているのかといった謎解きにも興味深いものがあります。文体は平明で、岡山先生のテーブルトークを聞くようです。(いのちのことば社発売1300円)

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