苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

美しく安全な作物を望むならば



 きのう妻とセロリ畑のマルチはぎの手伝いに行った。「腰には真理の帯」ではなく、腰痛防止ゴムバンドを巻いて、青空の下、楽しかった。妻の弁当で、お昼は外でピクニック。だが、作業はフーッフーッと、なかなかきついわけで、今朝は、我が家には二体のさびついたジャイアントロボが出現した。お百姓さんたちはこれを毎日毎日するのだから、ほんとうに信じがたいほど偉い。夕飯時、仕事から帰った長男が(彼は昨年農繁期の半年間住み込みで農家のバイトをしたことがあるのだが)、言った「おとうさんよく頑張ったね。天国に行ったら、きっとイエス様はおとうさんに『あなたはわずかなマルチはぎに忠実だったから、わたしはあなたにより多くのマルチはぎを任せよう』と言ってくれるよ。」と笑った。
 
 ところで、カネと効率がすべてであるTPP農業解放論者は、日本の農業は効率が悪く、農産物は高すぎるという。では、どのようにしたら安くできると彼らが言うかといえば、大規模化して人手をかけず、人件費を削れというのである。米国の農地は日本の平均100倍で、オーストラリアは1500倍だという。日本列島のどこに、そんな地面があるのか?
 大規模化して人手をかけないということは何を意味するか。大規模化された農業とは、単作・化学農法である。除草についていえば、もちろん手で草取りなんかできないし、マルチを張ること始末することさえも手間がかかるので、強力な除草剤をばらまく。除草剤をたっぷり吸った土壌に種を蒔いて作物を作るのである。大規模化すればするほど、野菜が農薬まみれになることは必然なのだ。
 収穫について言えば、日本の農家はたとえばキャベツなど、一個一個包丁でていねいに切って、重さを量り、かたちを整えて出荷している。収穫前の農薬散布についても厳しく制限されている。これも大規模化して人手をカットするには機械による収穫となる。また、機械で収穫される野菜は、どうしたって傷むし形は悪いから、農薬をかけて腐敗を防止し、煮て瓶詰め・缶詰にしたり、野菜ジュースにしたり、サプリメントの材料にする。特にアメリカもオーストラリアもポストハーベストがものすごくて、ウゲッーというほどだ。十数年前、アメリカのスーパーマーケットに行ったとき、生鮮野菜のコーナーがとっても狭く、代わりにいろいろな野菜が瓶詰め・缶詰の棚がずらりとあったのに驚いた。そういえば、ポパイも缶詰のほうれん草を食べていた。こういうのは、大規模農業に必然的にともなう売り方なのだろう。

(キャベツ畑にほとんど雑草もなければマルチも張られていないことに注目。除草剤が散布されているからだと推測される。)

 大規模農業は、また、土壌を破壊する。いろいろ作ると手間とカネがかかるから、同じものばっかり作るのだ。だが、同じものばかり作ると土壌の微生物バランスがこわれて、連作障害が起こる。また堆肥をいれず化学肥料ばかり多用するならば、土壌のなかの微生物は死滅してしまう。米国やオーストラリアや中国では、大規模・単作・化学農法によって土壌が死んでしまい耕作放棄された荒地がひろがっている。それでも米国やオーストラリアは広大な面積のある国だから、成り立っているが、こうしたことを日本のようなところで行えば、もはや農業を存続すること自体不可能になる。耕地面積のかぎられた日本やヨーロッパは、米国やオーストラリアの猿真似でなく、持続可能な農法を選択すべきなのだ。

 「安全で美しい野菜」を作るには、手間ひまかかるのだから、畑は小規模になる。したがって、作物が高価になるのは当たり前のことである。安全で美しい作物を願う消費者はその分お金を払うべきである。
 他方、米国・オーストラリア流の大規模農法で作られた安い野菜は、健康にとって危険で、かたちは悪いし栄養も少ない。安い野菜を望む消費者はそれに甘んじるべきである。あるいは野菜ジュースや野菜缶詰や野菜サプリを選べばよい。
 「安くて安全で美しい作物」を求める消費者はわがまますぎる。消費者たちは、日本のお百姓さんたちが、安全で美しい野菜を作るために、どれほど苦労しているのかを一日でも畑にはいって体験するのがよい。スーパーの店頭を見れば、あんなに苦労しているのに、野菜は安すぎると感じるだろう。
 
参考> 聖書から農業について考えて、むかし書いた文章「神と土と人」はこちら。今見ると、文章は、ちょっと有機農業に肩入れしすぎかもとは思う。というのは、実際のところ有機農業の資材が日本の食糧需要を満たすほどないからである。⇒http://church.ne.jp/koumi_christ/shosai/kami-tuchi-hito.pdf

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