苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

宮村先生ご夫妻来訪


   (小春日和、武田先生の庭)

 一昨日金曜の夜、宮村先生ご夫妻といっしょに千葉から戻ってきた。私は神学校の最後のクラスを終えての帰り。そして、宮村先生ご夫妻は今回信州佐久に住まれるご友人を訪ねて、きょうは小海の教会でみことばのご奉仕をしていただくことになったからである。
 昨日、土曜日は聖書学者の武田武長先生をお訪ねした。武田先生がドイツ留学を終えて帰国され、数年間愛農高等学校で校長を務めておられた時期、宮村先生のご長男がこの学校に学ばれたということがお二人の出会いであられた由。たいへんお話が弾んでおられた。 宮村先生はおととし病を得られてからリハビリに励んでこられて、ずいぶんお元気になられたとはいえ、杖を突く身でいらっしゃる。だが、「ポーンと飛ぶことは得意なんです、話が。」と笑いながら、義経の八艘とびのごとく、あっちこっちに話題を自由自在に転じつつ、両先生は共通の知友が多いことにびっくりなさっていた。
 私は、実はこのところ睡眠不足のせいか、あるいはペーチカが暖かすぎるせいか、外の空気を吸いたくなって、席を外して庭に出た。小春日和である。たわわに実った柿の木が遠くにあり、胡桃の樹が二本、そしてくずれかかった土壁の物置。さびた庭である。武田先生の娘さんが、平家物語や古い歴史に関心がおありだとのことで、私もそういうことに関心があるので、お話をした。日差しが強くてそこに干してあった雨傘を差すほどだった。
 武田先生宅を去ろうとする直前、宮村先生がベルリンの壁を話題にされた。ベルリンの壁が壊される前、ひたすらにそのことを祈っていたという東ドイツの主にある兄弟姉妹の群れがあったということを宮村先生はどこかでキャッチしておられて、以前からその具体的な内容を知りたいと願っておられた。ドイツに4〜5年学んでおられた武田先生にそのことを質問されたところ、即座に二冊の本を提示された。その著者の名は、カミンスキー(「おお、カミンスキー」と筆者は思った。)宮村先生は、沖縄から基地が撤廃されることを祈る「うちなんちゅうの会」を市川でしておられる、その文脈でベルリンの壁の東側にあったという祈りの群れについて知りたいと願っておられたのである。
 (私はカミンスキーを知っていたわけではない。先生たちのかたわらで、「著者は、昼寝好きじゃなくて、仮眠好きですね」ということばが、のどまで出そうになるのをやっとのことで自制するのに苦労していた。おじさんはなぜダジャレを言うようになるのだろう?「年を取ると自制心がなくなるからじゃない」と娘に言われた。ある人は「いや、羞恥心がなくなるからでしょう。」とも。でもあるおじさんは「いや、ことばを自在に用いるまでに成熟したしるし」と言っていた。)

 その後は、武田先生が仕えておられる佐久教会を訪問。明治、植村正久の時代に建てられた建物を、数年前に補強改修したものであり、かわいらしい三角屋根の会堂で、今でも斬新な姿をしている。表で写真を撮って、さて中にと思ったら、武田先生が会堂の鍵を忘れられておられた。でも、さんさんと陽光が降り注ぐ表で、お二人と奥様はお話を延々となさっていた。別れがたいお二人だった。
   (佐久教会)


 そうして、お昼はわたしの自慢のそば屋にお連れした。例の「ともせん」である。私のお気に入りの「白駒」を注文。

「白駒」というネーミングの鴨ねぎそばの、つけ麺タイプ。これが絶品である。あったかい漬け汁が少し大き目の器に入っていて、それが少し濃くて甘みがあり、備長炭で焼いた鴨とねぎが入っている。これに打ち立ての蕎麦をつけて食べる。う〜感動。泣けてくる。おいし〜よ〜。おまけに温泉卵が付いている。好みでこれを汁にいれてもいいし、汁が薄くなるのがいやなら、汁をこれにかけていただいてもいい。実に工夫が行き届いていて、あ〜うまい。(2010年12月28日記事より)

 少し遠回りして黄金に染まった山々や、湖をまわって、松原湖バイブルキャンプの宿にお連れしたら、「今日は大収穫でした!」とおっしゃってくださったので、とってもうれしかった。


   蕎麦屋ともせん

   お気に入りのメニュー「白駒」