苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

真間(まま)

 宮村先生は現在、聖望キリスト教会の宣教牧師というお立場で、隣接地にお住まいである。筆者は編集会議のあと聖望キリスト教会のゲストルームに一泊させていただいた。翌朝五時半にはいつものように目が覚めてしまった。塚本虎二の『福音書』をもって散歩にでかけた。外はまだ薄暗い。散歩をしているお年を召した夫婦連れと幾組がすれちがう。
 先生のお宅から北に数十メートル行けば、真間川がある。「ままがわ」と呼ぶ。真間というのは、江戸川から市川方面に入江が深く入り込んでいた地域をさすのだそうで、真間川はそのなごりである。薄緑ににごった水がたゆたうように東から西へとゆっくりと流れている。これに比べれば、小海を流れる千曲川は滝といってよい。真間川にかかる十数メートルのちいさな橋に立つとちょうど川上の方角の空に朝日が雲間に顔を出した。

  (真間川の明け方)
 真間という名は、古く万葉集にも見られるそうで、道端のあちこちの壁に短歌が掲げられている。複数の男に言い寄られてどうすればよいのかわからなくなり、だれに寄り添うこともせず、真間の入江に入ってはかなくなってしまったという美女、手児名(てこな)の悲話が残されており、その手児名をしのんだ歌がいくつか万葉集に収められている。そのひとつはこれ。
「われも見つ人にも告げむ葛飾の真間の手児名が奥津城処」(山部赤人
 ほかにもいくつも歌が、道端のあちこちに掲げられているので写真にとってみた。


 また、このあたりは十字架横丁とも呼ばれるそうで、教会が点在している。散歩の帰り道、そのひとつを真間川のほとりに見つけた。福音ルーテル市川教会である。相当古い会堂で文化財に指定されているようだった。