苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

すべてのことが益とされます

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画にしたがって召された人々のためには、神はすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」ローマ八章二十八節

 がっかりしているのですか。どうしてこんなことになってしまったのかと、愕然としているですね。あの人が悪い、この人が悪い、私は悪くない・・でも私も少し悪かったかなあと感じているかもしれません。これから私の人生どうなってしまうんだろうと考えると不安で、夜も目がさえてしまうかもしれません。夜、眠れないと、昼も調子が悪くて、ついつい家族にもつらく当たってしまって、こどもは泣き喚くし、するとこの子はどうなってしまうのかとますます心配になってしまうということもあるかもしれません。心配は、新たな心配の種。心配は癌みたいに細胞分裂して増殖して、私たちの心もからだも人生もむしばんでしまいます。
 でも、もうあなたはイエス様のところに来たのだから大丈夫です。なぜかといえば、「神を愛する人々のためには、神様はすべてのことを働かせて益としてくださる」からです。「すべてのことを」ですよ。あなたがあんな風に失敗したことも、こんなに悪い状況も、神様は不思議としかいいようのない御手をもって、益と変えてくださるのです。あなたはいつの日か必ず「ああ、苦しみにあったことは私にとって幸いだったんだなあ。そのおかげで、今、私はこんなふうに感謝に満ちている。」と言うことになります。
 ですから、楽しみに待ちましょう。全知全能の、そして愛に満ちた神様は、どんなふうにして、これほど最悪の状況を益と変えてくださるのだろうか、と。神様のそのふしぎなすばらしいお手並みを拝見させていただきましょう、と。
 ただ、一つたいせつな条件がありました。それは神様を愛するという選択をすることです。「神を愛する人々のために、すべてのことを働かせて益としてくださる」とあるからです。今の状況のなかで、あなたにとって神様を愛するとはどういうことか。あなたの前に右に行く道と左に行く道があるならば、どちらが世を愛する道であり、どちらが神様を愛する道だろうかということを静かに考えてみてください。そして、右に行くことが今のあなたにとって神様を愛する道ならば、大胆にその道に踏み出してご覧なさい。
 滅びにいたる門は広く、進めばすぐに得をしそうです。神様を愛する門は狭いことが多いものです。神様を愛する道は、目先は損に見えるでしょう。けれど、しばらく忍耐して歩いていると、神様の不思議な御手が働いてすべてのことが益とされていきます。そして、あなたはきっと次のように歌う日がくるでしょう。
「苦しみに遭ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(詩篇一一九:七一)
(通信小海95号2001年9月より)