苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

上田の無言館



 台風が来るというので、私も妻もそれぞれ予定がキャンセルになったので、前々から妻が「行ってみたい」と言い、私も「連れて行ってやりたい」と思っていた上田の無言館に行った。暴風雨は夕方からということなので、9時半に出発して二時間ほどで無言館に到着した。わたしが先にここを訪れたのは、一昨年の霊泉寺温泉での信州夏期宣教講座の折りであったと思う。
 私にとっては二年ぶりに訪れた無言館である。残暑の林にこれを最後と声を張り上げる蝉の音を聞きながら、「そういえば、芭蕉は耳を聾する蝉時雨に『しづかさや・・』なんて詠んだんだ。」などと話して歩くうちに、無言館の前に立つ。コンクリート打ち放しの建物は、中世ヨーロッパの修道院の風情がある。分厚い木のドアをあけると、そこはただちに展示の空間である。入場料は最後にどうぞ、とのこと。
 内部の写真を撮ることは許されていないから、ここに紹介することはできない。関心ある方は、こちらをごらんになるとよい。絵は普通の美術館とちがって豪華な額縁に入れられるわけでなく、ガラスの保護さえなく展示されているから、近づいて絵の具のタッチまで見ることができる。それぞれの作品の下には、作者を紹介するエピソードがごく簡潔に記されていて、いくつかの遺品や手紙もある。27歳、28歳、中には19歳で戦死した画学生もいる。用いられた絵の具が戦時中とあって、粗末なものだったからであろうか、痛々しいまで画面が傷んでしまっているものも多い。
 若妻をモデルとした作品の下に、家の外の出征兵士を送り出す万歳の声を聞きつつ、最後の筆を置いて、「かならず戦地から戻ったら完成させる」と言って出征していったが、そのままになってしまったという若き画家のエピソードがあった。また、召集令状が届くと身の回りの品々いっさいを始末してしまい、出征のその日の朝まで夜を徹して自分の頭の塑像を造り上げ、「これだけが僕だ。ほかのものはいらない。」と妹に言って発っていった画学生のことばもあった。
 無言館を出て、どうだった?と聞けば、妻はひと言ふた言話し出して声を詰まらせていた。無言館から徒歩三分ほどくだった所にあるもうひとつの展示館「傷ついた画布のドーム」に行く途中、蝉が落ちて死んでいた。この蝉でさえこの夏を十分に鳴きぬいて地に落ちることが許されたのに、あの画学生たちはなんということか・・と思った。