「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」マタイ7:24-27
主イエスは、山上の垂訓の結びとしてこのたとえを話された。伝道者になってまもないころ、今は柏崎に住む友人の佐々木兄が、下のような歌を教会学校で教えてくれた。
賢い人と愚かな人
1 賢い人が 家を建てた
岩の上に 家を建てた
岩の上に 家を建てた
雨が降ってきた
雨が降り 水が増し
雨が降り 水が増し
雨が降り 水あふれ
その家はだいじょうぶ
2 愚かな人が 家を建てた
砂の上に 家を建てた
砂の上に 家を建てた
雨が降ってきた
雨が降り 水が増し
雨が降り 水が増し
雨が降り 水あふれ
その家は ぺっちゃんこ
3 賢い人よ 信仰の家を
岩の上に今建てましょう
岩の上に今建てましょう
めぐみはくだる
恵みはくだる 祈れば
恵みはくだる 祈れば
恵みはくだる 祈れば
いつも祈りましょう
先の主の日に、「浜岡原発が建っている場所は、砂岩と泥岩が交代で積もっていて、モロモロ手で崩れるような場所何だそうだね。」と話すと、篠原兄が、替え歌ができそうだと言って、「♪愚かな人が原発建てた 砂の上に原発建てた♪」と口ずさんでいた。そこで、考えてみた。
賢い人と愚かな人 原発版
1 愚かな人が 原発建てた
浜岡に 原発建てた
震源の真上に 原発建てた
地震がやって来た
制御棒入らず 停められず
地割れができて 電源切れ
パイプも破れ 冷やせない
原発は メルトダウン
2 爆発して 放射能雲
風に流され 静岡と
首都圏みんな汚染して
3000万人 難民化
3 賢い人よ 原発を
ただちに 廃炉にみちびきましょ
電力よりもたいせつなのは
いのちと安全です
不謹慎と言われるかもしれない。しかし、過去110年〜150年の周期でマグニチュード8.4の東海大地震がやってくる、その震源の真上に、しかも活断層が何本も通っているために建屋をまっすぐ並べることもできないような敷地に、しかも津波の第一波がかんたんに持ち去ってしまう砂丘を堤防とみなして、地震予知連絡会の専門家の意見も聞こうとせずに、原発を建てた電力会社と許可を出した自民党政府のほうが、よほど不謹慎ではなかろうか。まあ、不謹慎を競い合うのも愚かなことだけれど。それは認めます。すみません。(地震予知連絡会元会長茂木清夫氏http://www.stop-hamaoka.com/koe/mogi.html)
上の浜岡原発の配置図をごらんいただきたい。赤い線は断層である。原子炉が、断層を避けて、あちこちに向いてばらばらに建てられている。3,4,5号機は原子炉建屋とタービン建屋が断層にまたがって建てられている。地割れができて段差が生じたら、配管、配線は破断してしまう。ちなみに1854年の安政大地震では1〜2メートルの段差が生じている。今年2011年は前回から157年目にあたる。よりによって、よくもまあこんなところに原発を建てておいて「原発は100パーセント安全です」と言いつづけて来たものである。
菅首相のこのたびの決断を歓迎するが、さらに、炉内の燃料棒と使用済み核燃料を移送するまでは、ほんとうに安全ということはできない。祈り発言してゆきたい。