苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

土のやり場所<追記5.5>

 文部科学省がが子どもたちの年間放射線被曝量1ミリシーベルトの基準(文部科学省は「目安」だという)をいきなり20ミリシーベルトに引き上げ、かつ、放射能除洗のために何の具体的行動も起こさないので、郡山市は自主的に運動場の表土を削り取る作業をした。けれども、その放射能に汚染された土の持って行き場がないという状況に陥っている。
 小出裕章氏が、この汚染された土のやり場にかんする質問に対して、辛そうにしかし誠実に次の趣旨の答えをなさった。そこをふるさととする方たちにとっては、本当に気の毒なことだけれども、高濃度に汚染されてしまった原発周辺には今後人は住むことができなくなる。だから、原発敷地に放射能汚染された土や瓦礫を集めて管理するほか方法はない、と。
 自分の人気のためでなく、科学者として人として良心的に発言をなさる方であると思った。たしかに福島第一原発周辺地に住まいや農地のある方たちの気持ちを考えると、批判を受けることも覚悟の上の説明である。
 他人事でなく、自分自身を含めて、3月11日の地震以来、人間の質が測られているという気がしている。

追記>2011年5月5日
 武田邦彦氏は、汚染土は東電に電話をして引き取りに来てもらうようにと勧めている。http://takedanet.com/2011/05/post_1962.html コロンブスの卵。至極当然のことである。やはり福島第一原発の敷地にもどすべきである。