苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

原発輸出と神のみこころ

 今回の原発事故以後、ずっと胸の内にあるが文章にすることをためらってきたことがある。だが今日、メモしておこうと思う。読者は煽られるのではなく各自判断していただきたい。それは、「日本が原発ベトナム、インド、タイ、トルコをはじめ、外国へまでも輸出しようとしたことに対して、神様はNOを突きつけられたのではないか?」という思いである。日本が、自国に設置した原発で自分の電力をまかなうことについては、神様は許容というより放置してこられたのだが(追記:この「放置」はローマ1:24,28の「引渡し」の意味)、ロシア、韓国に遅れを取らじと諸国に放射能をばらまき、滅亡にいたらせる危険な原発を世界の諸国にまで売りさばこうとしたことを、神は許可なさらなかったのではないか。
 今回の地震津波による原発の破綻と、それへの対処のありさまを見て、タイの人々からは、「原発はやめよう。われわれタイ人は、日本人のように勤勉ではないし、自分勝手だから、いったん事故が起きたらどうにもならない。」という声が上がったそうである。タイ人の読者がいらっしゃるなら申し上げたい。「たしかに原発は止めておいたほうがお国のために賢明です。」ところが、4月19日、衆議院財務金融委員会では、原発輸出を資金面で後押しする国際協力銀行法案が、民主、自民、公明各党の賛成で可決された。「国内では危険で不潔な原発は売りにくくなってしまったから、外国に売ろう」という考え方である。
 人間にすぎない筆者は、聖書によっても神のみこころを完全に知ることなどできはしない。しかし、もし原発輸出にかんする神のみこころについて筆者の理解が正しいとすれば、このままでは福島第一原発の事故は収束することはなく、さらに追い討ちをかける事態が起るであろう。追い討ちの内容が今の原発事故の継続・悪化であるのか、あるいは東海地震による浜岡原発破綻とそれにともなう首都圏・東日本の壊滅であるのか、あるいは他の原発の問題なのか、あるいは小田原地震相模湾震源とする関東大震災)なのかはわからない。
 今、神がこの国に命じていらっしゃるのはエネルギー政策の根本的な方向転換であり、世界に原発の害悪をばらまくのをやめろということなのではないか。「経済至上主義=欲ボケ=拝金主義」の政治家たちや経済評論家にはそのことがわからない。いや政治家だけでなく、今回の統一地方選挙の結果を見ると、原発にしがみついていたいという国民がなおも多いらしい。こういう動きを見ていると、終わりの日に地球を滅ぼす火とは、原子力の火なのかもしれないと思われてくる。日本がその最初の例となってしまうのか。いや、さらによく考えれば、地球を滅ぼす火は原子力の火というよりも、経済至上主義つまり拝金主義という偶像崇拝の炎だというべきかもしれない。

「その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。 しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。 」(2ペテロ3:6,7)

「 人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。 」(ヤコブ1:14,15)

 もう一度念のために。読者は煽られるのではなく各自判断していただきたい。