苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

脱原発の手順

・・・・・・・『通信小海』210号 抜粋・加筆

原発震災は人災
 原発震災について、本紙では数年前から何度か警告してきました。国と東電は「想定外」を連発していますが、素人の筆者でさえ少し調べればわかる程度に全て想定内でした。ここに大地震津波が三十年以内に来ることは国の調べで九十九%とされ、津浪の高さは一八九六年の明治の三陸津波では宮古市一八・九m、大船渡市で二十二・四mを記録しています。五mほどの防波堤しか備えていない福島第一原発の危険については、今から四年前の柏崎原発事故の直後に、福島のある県議団が東電に点検を求めていたのです。
 「福島原発はチリ級津波が発生した際には機器冷却海水の取水が出来なくなることが、すでに明らかになっている。これは原子炉が停止されても炉心に蓄積された核分裂生成物質による崩壊熱を除去する必要があり、この機器冷却系が働かなければ、最悪の場合、冷却材喪失による苛酷事故に至る危険がある。そのため私たちは、その対策を講じるように求めてきたが、東電はこれを拒否してきた。柏崎刈羽原発での深刻な事態から真摯に教訓を引き出し、津波による引き潮時の冷却水取水問題に抜本的対策をとるよう強く求める。」(2007年7月24日)
 しかし、東電も安倍政権下の原子力保安院もこれに耳を貸しませんでした。なぜか? お金がかかるからです。もしこのとき、この要求に誠実に答えて、防波堤を築くなり、冷却系の機材の防水措置をとっていれば、この原発震災は防ぐことができました。これは人災です。地元の多くの人が住居も農地も健康も失ってしまいました。さらに関東圏の農地と水源地も汚染され、これから南風の季節、東北・北海道の農地や水源地も汚染され食料危機となる恐れがあります。福島第一原発からの放射能雲の流れについては、ドイツの気象台がシミュレーションをしていますので、こちらをご覧ください。
http://www.spiegel.de/panorama/bild-751072-192707.html

 今後起りうる最悪のシナリオについては政府はパニックを恐れてか述べてこなかったのですが、原子力資料情報室ははじめから最悪のシナリオも想定していました。ここにきて、日本の原発研究の草分けの16人の学者たちも述べて、陳謝しています。
 原子炉の冷却機能が今なお回復できないので、このままでは溶けて原子炉の底にたまっている炉心が炉の底を溶かし、落ちて水に触れて水蒸気爆発(核爆発ではない)による放射能の大拡散の危険があります。一基そういうことになれば、現場には誰もいられませんから、結局、福島第一にあるすべての原発の中のチェルノブイリの7倍の「死の灰」が日本列島に降り注ぎます。そうなると森も農地も水源地も海も汚染されてしまいます。「この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。」(黙示録8:11)という事態です。現在の避難区域が非常に広くされるということです。
 そういうことにならぬためには、今後、原子炉を冷温停止して廃炉にもっていかねばなりません。数年間も冷やさなければならないそうですから、安定的な冷却装置の回復あるいは新設が必須ですが、今のところ手立てが見当たらないと、原発推進派の専門家も原発反対派の専門家も言っています。神様のあわれみと、私たちの祈りが必要です。

 このような事態に立ち至った原因は何だったのでしょうか。ひとつは金銭欲です。コストを嫌った東電とそれを容認した当時の政府は、「また反対してるよ」と、目の前の現実から目をそむけて、こうした事態を招きました。「人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。愛する兄弟たちよ。思い違いをしてはいけない。 」(ヤコブ書)
 もう一つは「原発は絶対安全」といういわばカルト的盲信でしょう。「絶対」などということは神様についてしか言ってはならないことです。「原発安全神話」などといいますが、実際、根拠もなく原発の安全性を主張してやまない大学教授とか東電のお偉いさんとか読売・産経・日テレの発言は、ロマンチックな神話というよりも、有害な「原発カルト」を思わせるものがあります。日本中がそれに巻き込まれていました。
追記:ただし、カルトという概念はあいまいなので、世間話程度ではよいけれども、広義に使いすぎるのはよくないかもしれません。)

次の原発震災
 この狭い地震列島に原発は五十余基あります。私たちの信州は北は新潟県柏崎原発、南は静岡県浜岡原発にはさまれています。原発震災が起れば、夏なら南から、冬なら北から放射能雲が襲ってきます。他人事ではありません。新潟は直下型地震の巣ですし、浜岡原発東海大地震の想定震源域の中央にあります。東海大地震は、今回の地震と同じくプレート境界型の巨大地震で、過去を調べるとM8.4です。
 今回の地震で原子炉はとりあえず制御棒が入り核分裂は止まりました。地震の揺れはたいしたことがなかったからです。やられたのは津波によって電源を喪失したことによります。今回の地震は、過去三陸・宮城・福島を襲ったものと同じく震源地が福島の沖合い130㎞だったからです。
 しかし、静岡県浜岡原発のばあいは津波が来る前に、突如直下から襲う1メートル〜2メートルの縦横の激しい揺れで、まず制御棒が入らなくなり止められなくなります。また、活断層が通っているもろい地盤の敷地ががたがたになって、配管・送電線が破断して冷却材喪失します。これは根拠のない脅しではありません。前回の安政の大地震でできた2メートルの断層が残っています。今回の福島沖のトラフ(海盆)は24メートルの海底の断層を残したそうです。
 さらに、激しいたて揺れによって、原発建屋内の使用済み核燃料プールからは、水がすべて飛び出してしまい、暴走・爆発に至ります。1944年の東南海地震を経験した知り合いのSさんは、到底立っていることができず、庭の池の水がすべて飛び出してしまったと体験談を話していました。
 このように浜岡原発が壊れたあとでやってきた津波は、すでに暴走している原発を何度もむなしく洗うことでしょう。まあ今頃になって浜岡原発はコンクリートの防波堤を造りますと宣言していますが。浜岡原発の現状は子どもの遊びじゃあるまいし砂山が積んであるだけです。もっとも中部電力は砂山というとかっこ悪いので「砂丘」と言ってますが、同じことです。津波の第一波で砂山は運び去られ、第二波以降が暴走している原発を洗い続けるでしょう。

原発は必要なのか?
 「原発が要らないというなら、電気を使うな」という人がいます。昨年の総電力量に対する原発の割合は、23%にすぎず、中部電力浜岡原発が占める割合は14パーセントにすぎません。信州に住む私は原発を止めるためなら喜んで14パーセント節約します。うちはテレビはありませんが(ないので電力会社に洗脳されていないのかも)、テレビが各部屋にあるお宅は1台ずつにすればすむ話です。冷蔵庫、クーラーなどを省エネ家電に切り替え、白熱灯を蛍光管に切り替えれば済む話です。一般家庭で20〜30%省エネするのは、決してむずかしいことではありません。しかも全国の火力発電所の半分は今も稼動させていない。電力は余っています。
 それなのに私たちは「電力不足です。」という宣伝をしばしば聞かされます。ところが、もう一方で電力会社は「オール電化」と「電気自動車」の宣伝をしています。不足とダブツキと本当はどっちなのか。人口減少にともない電力需要は長期減少傾向にあるので、中部電力は需要を作り出すために「オール電化」「電気自動車」キャンペーンをすると発表しています(日経新聞二月二十五日)。実は電力は余っています。原発はトラブルが多いので、必ずバックアップ用として火力発電所が併設されているので、遊ばせている火力が多いのです。その証拠に数年前の夏、全国の原発を止めて一斉点検したときにも、どこでも停電は起らなかったでしょう。

追記>以下引用『AERA』2011年4月11日号〜〜〜〜〜〜〜〜

 「電気半分で暮らしてみた究極節電生活の心得,原発全廃でも困らない統計数字が告げる真実」
 日本の過去最高の電力需要は,2001年7月24日午後3時の1億8269万キロワットであって,その後,この記録は破られていない(当日の東京電力のほうは 6430万キロワットの需要に応じていた:こちらも東電での最高記録である)。右の図表をみたい。
 これは意外にも,日本の電力需要は,こんどの巨大地震で火力も被害を受けた当面の東電管内を別とすれば,原子力を除く既存の火力と水力発電だけで,電力消費の過去最高を補ってもなお,若干ではあってもお釣りがくる数字となっている。これに一般メーカーなどの自家発電をくわえると,過去最高の需要を相当に上まわる潤沢さである。原子力が欠けると電力需給はもたないという,いつのまにか人びとの頭にこびりついてしまった通念は,統計数字をみるかぎり誤りである(63頁1−2段)。
 以上は,火力発電・水力発電に関して必要な定期点検・補修,また降雨量なども考慮に入れても妥当する議論である。最近まで火力発電では実際に供給能力の半分程度しか稼働していない。一番問題なのは,年間のある一時期の,それもほんのわずかな時間帯の需要の突出まで〔2001年7月24日の最高記録がその好例〕面倒をみるために,ほかの季節での無駄な遊休化を承知しつつ,原発を始め各種発電所の建設がつづけられてきた(63頁3−3段)。

 そうではなく,電気料金のかけかたを全面的にみなおすだとか,需要増大期には事務所などの節電,メーカーの全面的な操業調整なを始動させる大がかりな仕組が作りだされていなければならなかった。ところが,そうした努力よりも原発新設へと政・官・産・学の関心は向き,国民のなかからの批判は無視してきた(63頁3−4段)。

 詳細なデータに基づく「電力は余っている」事実の検証は下記を参照。
http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/44831507.html
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜以上引用〜〜〜〜〜〜〜〜
 では、なぜ電力会社はシンプルで安価な火力(原発の半額程度)でなく、危険かつ四千億円もするという原発を造りたがるのでしょうか。普通の商売なら設備費を安く抑えたいはずですが。それは電気事業法という異様な法律があるからです。電気事業法によれば、[電力料金収入=原価(発電所建設費・燃料費・運転費用・営業費用など)+原価×4・4%]となっています。この計算式をながめればお分かりのように、原価が高ければ高いほど電力量収入が多くなるのです。だから減価償却が済んだ火力発電所ではもうかりませんが、高価な原発を造れば電力量収入は多くなります。この電気事業法を変えれば、電力会社は原発建設をやめるでしょう。原発は、消費者のためでなく電力会社のために必要だったのです。

省エネ技術と代替エネルギー
 原発を全部廃止するなら代替エネルギーが必要だろうと言われます。太陽電池風力発電地熱発電開発に従来原子力にかけてきた国家予算を注ぎ込みます。ですが今すぐ実現可能なのは省エネ技術の利用です。一例を挙げれば、LEDの七倍も電気をつかう白熱灯を禁止して、すべてLED化するのです。LEDを扱っている知り合いに聞いた試算では、日本全国の照明をすべてLEDにすれば二十〜二十五%節電できるとのことです。さらに、冷蔵庫(旧製品の7分の1)、エスカレーター(旧製品の4分の1)、クーラーなどなんでも、省エネ技術を総動員すれば、総電力量に対して原発の占める二十三%はクリアできます。原発がなくなったら経済的に困るという自治体には、LED工場を優先的に誘致させればいいでしょう。
 手順としては、①電力事業法改正、②原子炉をすべて止めて一年冷却後廃炉にする。ただし冷却中にも耐震対策を強化する。③火力発電所で原子炉のバックアップをする、④オール電化・電気自動車キャンペーンを止めて節電する。④全国のすべての照明をはじめとする省エネ技術を総動員し、徐々に火力発電所を止める。⑤代替エネルギー開発。こうすれば、原発なしで安全できれいな世界のお手本の日本がつくれます。

原発:悔い改めるべき三つの罪
 筆者は聖書から原発には私たちの三つの罪が伴っていると考えています。第一は、原子力利用は神様の創造の基本的計画を否定する傲慢という罪です。また神が定めた被造物の最小単位である原子を破壊してまで、そこからエネルギーを得ようとすることは、貪欲の罪だといわねばならないと思います。貪欲は原発設置にからんで利権をむさぼる人々にさらに如実に現れています。
 第二は、原発維持には隣人愛の戒めに背くようなことをせざるをえません。電力会社の正規社員は原発のもっとも危険な現場で働いてはいません。多くは下請けの人たち、短期労働者です。保守点検のためには、被曝しながら働いているのです。あなたはそこで働きたいでしょうか。
 第三は、神様がくださった空気・山・海・水を汚染する罪です。原発がクリーンエネルギーなどとよくも言ったものです。今回の事故で私たちは原発の正体をまざまざと見せ付けられています。海は汚され、森も田畑も汚されつつあります。大地はうめいています。私たちは、国民としてこの国が原発政策を悔い改め、方向転換するように求める必要と責任があります。今なお原発事故解決の見通しは暗く、水蒸気爆発と死の灰の爆発的拡散が懸念されています。
 私たちは、①被災地に手を差し伸べ、②福島第一原発の解決のため祈り、③次々に全国各地で起る地震に備えてすべての原発は廃止して、安全できれいな国づくりをやり直さねばなりません。もしそのように悔い改めるなら神様が私たちの国をあわれんでくださるかもしれません。筆者には、これがわが国に与えられたラストチャンスであると思えてならないのです。
「神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。」ヨナ三:十

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