苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

アブラハムの取り成し

                    創世記18:16-33

 今回の大地震原発震災という状況のなかで、私たち自身恐れおののきながら、アブラハムのとりなしの祈りに学びましょう。

1. 私たちは地の相続人である

 「わたしのしようとする事をアブラハムに隠してよいであろうか。」(18:17)と主は言われました。創造主であり主権者であるお方が、被造物にそういう相談をしなければならないとお考えになるとは不思議です。なぜそんなことをおっしゃるか。それは、神はアブラハムをこの約束の地の相続人として認めていらっしゃるからです。
 アブラハム契約は主キリストにあって成就したので、キリスト者たちは世界の相続人とされています(ローマ4:16)。その意味は、私たちはそれぞれの地で、「世界の光」として「地の塩」として生きる任務があるということです。暗い希望のない世に希望の光となり、愛の冷えた味気ない世に味をつける歩みをするのです。私たちの務めの一つは、この日本の困難な状況のなかで、私たちの同胞のために取り成し祈ることです。世には立派な実践者たちがいらっしゃいますが、創造主に取り成し祈ることが許されているのはキリスト者です。さまざまな愛の御奉仕とともに、祈りとりなしましょう。

2.アブラハムの粘り強い祈り
 神の計画を聞いて、「アブラハムはまだ主の前に立っていた」とあります(22節)。裁きが告げられたからといって、アブラハムは、「ああそうですか」と他人事としてすませず、まだ主の前に立っていたのです。あの町に住む甥ロトを思ったのです。
 そのあと、アブラハムは懸命に、おそらく1時間2時間にわたる粘り強いとりなしの祈りをささげました。この粘り強さが学ぶべき第一の点。
 聖書的な祈りとは、瞑想ではなく、無の沈黙でもなく、人格と人格とのやりとり、神とアブラハムの格闘でした。率直に、私たちの願いを神にお話ししましょう。かんたんに「みこころのままに」というべきではありません。神の腰を動かすほどの祈りをささげるとき、それが神のみこころであることがあるのです。

3 神の義に訴える祈り

 アブラハム祈りに学ぶ第二点は、人間の立派さに訴えるのではなくて、神の義に訴えている点です。あの人たちがいい人たちだから、助けてやってくださいと祈るのではなく、神の公義に訴えているのです。
 私たちが人間の正しさを根拠に主に求めるならば、それは弱弱しい祈りになってしまいます。神の前に正しい人はひとりもいないから。アブラハムが力強い祈りができたのは、揺るぐことのない神の義に訴えたからです。
 しかし、アブラハム祈りには弱点があった。それは、彼が最後まで神様の義に訴え切らなかったことです。つまり、人間の10人の義を根拠としようとしたからです。私たちはどうすべきか。何を根拠として祈るべきか?それは、神の義とあわれみ、そして、キリスト・イエスの義を根拠として祈るのです。キリスト・イエス様の完全な愛の生涯と十字架と復活による義に訴えるのです。私には神の前に訴える資格や義はありませんけれど、神があわれみふかいお方であり、イエス様の義が完全であるのですから、主よ、聞いてくださいと祈りましょう。

4.神の前に出る備えを

 翌日朝暗いうちに、寝床にいたアブラハムは激しい揺れを感じて目を覚まします。彼は寝床から飛び出して、あの丘の上に走ります。丘の上から見下ろすと、なんということでしょう。「見よ、まるでかまどの煙のようにその地の煙が立ち上っていた。」
 アブラハムが甥のロトの名を呼んでもせんなきことでした。主はロトを実は救出していてくださったのですが、このときアブラハムはそれを知りません。そして慙愧の念に囚われていました。あの子を本当に愛していたら、どんなことをしてもあの地には住まわせはしなかったのに、と。

 これから私たちはとりなし祈りますが、その前に、自らを省みて悔い改める必要があります。自分は、神の前に出る備えはできているのかということです。私たちが生きていることは決してあたりまえのことではありません。この与えられた命とて、今日とられるかもしれないのです。神を愛し、隣人をゆるす心を持って生きているでしょうか。しばらく神様の前にそれぞれ静かに反省しましょう。
 いいえ。この私自身がまず悔い改めるべきです。みなさん一人一人のために祈ることにおいても、主のために熱心に働くことにおいても、そしてなにより主を愛することにおいても、どれだけ私は足りなくて罪のかたまりでしかないか。主よ、私をゆるしてください。私は罪のかたまりにすぎませんが、御子イエスの十字架のゆえに赦してくださって、どうかこのしもべの祈りに聞いてください。
 被災地の人々をあわれんでください。助けてください。救ってください。たしかに私は罪あるものです。しかし、あなたは、「まして、わたしはこの大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」とあわれんでくださいました。
 この国の民をあわれんでください。今まさに、原発は炉心が露出してメルトダウン・大量の放射性物質の排出という危機に瀕しています。今、いのちをかけて原発を冷却するために働いてくださっている方たちがいます。この方たちを守ってください。助けてください。このままでは、この列島、あなたがお造りになった大地とあなたの造られた被造物たちが滅びてしまいます。主よ、助けてください。私にはあなたの前に誇るべきなんの義もありませんが、主イエスの十字架の義と復活のゆえに祈ります。主よ答えてください。あわれんでください。