苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

大相撲について思うこと

 今、大相撲が八百長問題で大揺れに揺れている。相撲にはある程度の八百長が含まれているということは、筆者は子どもの頃から聞かされていたので、これほど大騒ぎになることがむしろ意外である。プロレスは事故でもないかぎり100パーセント馴れ合いであり、相撲は千秋楽が近くなると、力士たちは星のやり取りをしているというのが、筆者の認識だった。
 プロレスは、本気でかければ大怪我をしたり死んでしまうようなわざを掛け合っている。関節を本気で反対に曲げたら骨折するし、百キロ以上もある男を逆さにして、こちらの体重までかけて頭から本気で落としたら頚椎が折れて死んでしまう。実際、昨年死んでしまった有名なレスラーがいた。そのぎりぎりのところで骨折したり、死んだりしないように、鍛え上げ、両者協力して美しくわざを掛け合い、たくみに受身を取るところにプロレスラーの超人的すごさがある。
 他方、相撲。相撲もガチンコばかりならば、体が持たない。あの百数十キロの巨体が、短距離走選手のスタートのような仕切りをして本気で頭と頭をぶつけあえば、その頚椎にかかる衝撃は何トンにもなる。小錦舞の海にのしかかって倒れたとたん、舞の海は足に大怪我をした。お相撲さんたちも、やはりぎりぎりのところで戦っている。これもプロの仕事だ。「1年六場所、全部ガチンコでやれ」というのは、他人事だから言えることで、生活がかかっている本人たちにとってはとんでもないことだろう。本気で全部ガチンコでやれというなら、アマチュア相撲のように、張り手(顔への突っ張り)、頭突きなど危険行為は禁止しなければなるまいし、体重別階級制にしなければならない。そもそも1年六場所というスケジュールが無理だ。
 千秋楽ともなると、相撲村に属する村民お互いの生活がかかっている以上、村民同士の談合は暗黙のうちにある。お互い配慮して勝ちを分かちあわなければ、ともに生きていくことはできないし、相撲村は成り立つまい。しかし、ひどいのは十両とその下の待遇の格差だ。十両になれば月給103万円、その下の番付では、場所ごとに支給される手当5万円〜15万円だけだそうである。家族持ちの力士が十両から転落したら、悲惨である。こういう状況なら、千秋楽、勝ち越しがすでに決まっている力士が、7勝7敗の力士に勝ちを譲ってやるというのは仁義だろう。まして中学卒業以来、いっしょに切磋琢磨してきた仲間だったら。
 ただ、星のやり取りが仁義として許されるのは、勝ち越しが決まっている側が、ボーダーラインの友だち相手に無言・無料で負けてやる場合に限られるべきだと思う。金銭のやり取りを伴ったらそれこそ八百長だ。もっとけしからんのは切羽詰った家庭事情などありもしない金持ちの横綱が、「たまには俺にも優勝させてくれよ」とライバルの横綱に無理を言って1000万円贈って星を買ったというような話を聞くと、嘘か本当か知らないが鼻白んでしまう。こういう上位力士の金銭の授受こそ、蓋をしないことが大事ではないか。どうやら今回もテレビにも出てこない十両力士たちを切って、ことを済ませようというのが、相撲村の思惑らしい。こういうトカゲのしっぽを切って済ませようとするやり口はやっぱりいやだな。