苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

Xacti 代替わり


 このブログを開いてくださった何人かの方から、写真が美しいとほめていただいたことがある。用いてきたカメラはXacti−CG9という、デジタル・ムービーカメラである。3年前の秋、カメラとビデオの機能を両方備えているXacti(ザクティ)を見つけた。多くのデジカメにはおまけ程度のムービー機能は付いてはいるが、ザクティは写真とムービーが同じように片手で持ち親指一本で特別な切り替えもなく簡単に撮れる。いくつも種類があったが型落ちで一番安かったCG9というのをネットで手に入れた。
 使ってみたらとても簡単で、どこでも持ち歩くようになった。2年前の春からブログを始めたら、ザクティはますます手放せなくなった。毎朝の散歩に携えて行って、季節によって移り変わる花々や山々の風景やトンボなどを撮っては、ブログに載せてきたことはご存知の通り。

 ただ一つだけXactiの欠点を言っておけば、オートフォーカスの反応スピードが遅いことである。(上級機種は知らないが。)だから動くものはビデオで撮る。ビデオとカメラの機能が片手でパッパと使い分けられるようになっている。オートフォーカスのスピードはSONYにかなわないことはわかっているが、SONYデジカメだと値段が3倍も4倍もするので、私のばあいXactiで十分なのである。撮りたい瞬間を撮るのがカメラなのだという哲学を持っている人にXactiは向かない。明治初期の人はカメラの前で何分間も身じろぎもせずにしていたことを思えば、筆者はそういうことはぜーんぜん気にならない。哲学的に言えば、撮りたい瞬間を撮るというのは、カメラの本質には属さず、単なる偶有性にすぎないのだ。・・・というのは、勿論、負け惜しみだけど。
 ところが、去年の11月末、会堂の床に愛器ザクティCG9を落としてしまった。床は床暖のコンクリートの上に薄いカーペットで、結構固い。しばらくして気が付いたのだが、写真は撮れるがビデオが撮れなくなってしまった。すでに生産終了機種であり、修理に出すだけでエーッというような請求がされてしまう。「もう写真だけでいいよ。」と虚勢を張って来たのだが、ああこんな場面、ビデオが撮れたらなあという経験を何度もするうちに、「う〜ん欲しい。新しいザクティ。」という思いがふつふつと湧き上がってきた。
 今度手に入れたXactiCG100は、価格.comで探したら17000円で、写真も、ハイビジョン映像も実にきれいに撮れる。家内に見せたら、「よかったね。自分へのお年玉だね。」と言った。家内は私がたまに買い物をすると、こんなふうに喜んでくれる。そういえば、昔、本を買ってくると言って出かけて、本はあきらめて、家内が喜ぶかなと思って新製品のモリブデンバナジウムの包丁を買って帰ったら家内に叱られたことがあったな。でも、話すと長くなるので、この件はまた別の機会に。



 これはyoutubeで見つけたXactiCG100で撮影した埼玉の別所沼公園の映像。上京するときいつも利用する埼京線中浦和駅のそばにある。私が訪ねたときは秋で、周囲のメタセコイアの並木が美しかった。
 どうもXactiを使った人はそのファンになって宣伝したくなるようだ。こんなに安くてよくできていて良心的にがんばっているのに、なぜメジャーになれないの?がんばれ!Xactiと応援したくなるようなのだ。「SANYO Xactiの熱烈信者のBlog」なんていうのもある。ああ、しかし、応援の甲斐なく、先ごろ三洋電機パナソニックに吸収されてしまって、二年か三年後には残念なことに三洋電機というブランドもなくなってしまうそうだ。だがXactiは人気商品なので残るという話だ。これも小泉竹中の新自由主義経済の結果のひとつ。弱肉強食のつまらん世の中になったものだ。
 以上、Xactiのコマーシャルでした。