苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

地球球体の有限性の認識

 昨日、野辺山の青野さんのご自宅での太田一男先生の講演をうかがう機会に恵まれた。太田一男先生はかつて酪農学園大学政治学の教授で、今は、同大学名誉教授で老人ホームの理事長をなさっている。青野さんはこの大学のOBである。演題は「『時代が変わるということ』と無軍備平和主義の現代性」。多くのことをお話しくださったが、その中の一つ二つの点を備忘録としてメモしておきたい。

 一つ目は「高度科学技術工業制度商品生産社会」(HASTIC生産社会)によって、情報・科学技術・教育・資本・市場関係・金融・労働・人の移動などあらゆる面でのグローバライゼーションが起っており、これは近代の主権国家が消失していくことを意味している。たとえばEU内における国家の通貨発行権の停止はその象徴。
 近代の主権国家は、主権と主権の衝突によって戦争が生じる構造のなかにあったが、もはやそういう時代ではなくなりつつある。核兵器は使用する場がなくなり、侵略・軍事占領が無意味になってしまった。ゆえに何のために軍隊が存在するのか不明になってきつつある。「権力は必要だが、警察を超える武力つまり軍隊は持たない」という日本国憲法の立場が、これからのグローバル化した世界においてこそ有効になる。

 二つ目の鍵は、近年になって「地球球体の有限性の認識」が一般化してきたこと。かつて中世から近代への大きな意識変化の一つは、「大地earth」が「地球globe」と認識されるようになったことだった。それにもかかわらず、近代においては、「地球が有限である」という認識は一般化しなかったから、地球は無限だとばかりに人類は乱開発をしたり、毒物を大量使用する農業をしたりしてきた。しかし、近年になってようやく「地球球体は有限なのだ」という認識が一般化してきた。これは「近代」からの脱却の兆候である。
 地球が有限であるということが常識になれば、「浪費こそ最大の悪である」という価値観が常識となる。そうなれば、近代主権国家が解体するグローバライゼーションの戦争なき時代において、軍備こそ浪費でありこれは廃止すべしという認識が一般化することになる。

 お話をうかがった後、気になっているTPPについて質問した。先生のお話の筋から行けば、TPPは単にアメリカの横暴ということでなく、HASTIC社会によるグローバライゼーションという止めようのない歴史の必然だということのように聞こえる。もしそうであるならば、今後、日本の農業はどのように歩んでゆけばよいのか、と。
 この質問に対して、おおよそ次のような答えをいただいた。現代はまちがいなく「高度科学技術工業制度商品生産社会(HASTIC生産社会)」によってグローバル化は避けられず、TPPのその一つの現われであるが、HASTIC社会の問題性は、その社会の中で「生身の人間」が部品(パーツ)にされてしまっていることである。それは単に経済格差の底辺に追いやられているという意味ではなくて、経済的にどの階層に位置する人も同じである。
 その根本的問題はなんでも商品の論理で見てしまうことであって、いのちの論理が大事である。農業生産物も、商品としてでなく、生命の糧であるという認識をもって交換する生産者と消費者の共同体というものが今後必要であり、そういうものがあれば、グローバライゼーションの一環としてTPPが実施されていっても、そいういう農業は生きていけるであろう。・・・まあ、だいたいこんな風な答えをいただいたが、私の理解とことばによるので、文責は筆者にある。

 まったく年齢を感じさせない快活でエネルギッシュなお人柄とお話に感銘を受けた。またいろいろ考えさせられた。いっしょに行った息子は、先生とその集会に集った方たちがみんな元気だったので、その元気をもらったと言っていた。