苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

全被造物の救い主

ルカ2:1−7
2010年12月19日 小海主日礼拝
*一番下におもしろい写真があります。

1. キリストの誕生は歴史の事実である

 ルカ2:1,2
 お読みした本文の最初の部分には、イエス様誕生の時代背景が記されています。福音書記者ルカは医者でしたが、同時に歴史家ルカと呼ばれるように、歴史の事実にこだわる記者でした。ルカ福音書の冒頭に次のようにあります。1章1節から3節「私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。」
さて、イエス様が地上に生まれたころ、地中海世界ローマ帝国が席巻しており、特にここに記される皇帝アウグスト(在位、前27−14年)という人物は、版図が急速に拡大したローマが、それまでの共和政ではもはや治められないことを認識し、中央集権化した帝政に大機構改革を行なって帝国に繁栄をもたらした人物として知られます。
 それはそうとして、初代皇帝アウグストは、地中海世界を手中に収めますと、それぞれの植民地から、税金を納めさせることにしました。収税のために住民台帳を作ることにして、住民登録の勅令を出したのでした。以後、彼が没して後も、数年ごとに各属州で住民登録がされることになっていたのです。
史料によれば、クレニオがシリヤの総督であったのは、紀元前4年から紀元後4年の8年間であり、マタイ伝によればイエス様がお生まれになった時、イスラエルの王はヘロデ大王でした。このヘロデ大王は紀元前4年に死んでいますので、クレニオがシリヤ総督であり、同時にヘロデ大王が王座にあったのは、紀元前4年だけです。ですから、紀元前4年がイエス様の誕生の年であったことがわかります。
(「えっ。西暦というのはキリスト紀元であって、キリストの誕生の年を0年とするのではないの?」と疑問を抱かれる方がいるかもしれません。実は、西暦を作ったのは6世紀のローマの神学者ディオニシウス・エクシグウスという人物です。ところが、エクシグウスは数え間違いをしてしまったので、4年間のズレが生じてしまったのです。)
 しかし、それはそれとして、聖霊がルカ2章冒頭で私たちに教えるメッセージは、イエス・キリストの誕生とご生涯は歴史の事実だったということです。聖書は史事をたいせつにします。ある人たちには奇異な感じがするでしょう。というのは、多くの日本人が考えるいわゆる宗教とはまったく異なるところだからです。日本には「鰯のかしらも信心から」という言葉があります。気休めになれば何でもOK、信じる対象よりも信じる心が大事だというのが、多くの日本人の宗教観です。
けれども、聖書は事実にこだわります。御子イエスの誕生は「神話」ではありません。イエス・キリストというお方は、古事記に出てくる天照大神や、ギリシャ神話に登場するゼウスなどといった架空の存在ではないのです。イエス様は紀元前4年に私たちが住むこの現実世界に人として来られた、生ける神です。
人間が作り上げたお話の主人公たとえばマグマ大使は、あなたがどんなに一生懸命笛を吹いてもあなたを助けには来てくれません。それと同じことです。ゼウスにせよ、アポロンにせよ、天照大神にせよ、架空の神々は、現実世界の中で苦しみもがいているあなたを助けることはできません。いわしの頭は骨粗しょう症には効くでしょうが、それ以上の価値はありません。ただ、現実に生きておられ、歴史のなかに介入することのおできになる神こそが、実際にこの現実世界で苦しんでいる私たちを救うことがおできになります。そして、この真の神のみが、私たちが礼拝をおささげすべきお方です。

2.預言の成就:出生の地、ダビデの家系

 さて住民登録命令が出て、世界中同時に施行されたわけではなかったようですが、イスラエル中では民族大移動めいた騒ぎになりました。登録のためには、それぞれ本籍地(先祖の町)に帰らなければならないというきまりがあったからです。
 イエス様の母マリヤのいいなづけヨセフもマリヤとそのおなかのなかの子どもを連れて行かねばなりません(3節)。先祖の町であるベツレヘムに上っていきました。メシヤ預言が旧約聖書中にはたくさんありますが、その預言のうち二つがここに成就していくのを見ることができます。第一は、イエス様がベツレヘムにお生まれになったということです。(2:4前半)紀元前七世紀の旧約の預言者ミカはメシヤがベツレヘムに生まれるということを預言していました。(ミカ5:2)
考えてみればみるほど、この預言の成就はたいへんなことです。イエス様の母マリヤと養父ヨセフはガリラヤ地方のナザレの人でした。南のユダヤ地方にあるベツレヘムまでは物差しで測れば直線距離でおよそ120キロメートルですが、実際の距離はその1.5倍から2倍あります。当時は、徒歩の旅です。せいぜいロバの背に乗るくらいです。もう産み月にはいっている女性があえて出かけようという距離ではけっしてありません。それなのに、彼らマリヤとヨセフはベツレヘムへとあたかも赤ん坊を生むためであるかのように出かけました。それは住民登録をせよという命令が、ちょうどこのタイミングで出されたからでした。
こうしてみると、私たちはこのイエス様のお誕生という出来事に、神様の配剤を見ないではいられません。実に見事です。歴史を支配する神は生きて働いていらっしゃるのです。

もう一つの預言の成就とは、ヨセフがダビデの家系であり血筋でもあった(2:4後半)ということです。すでに先の主日に話されたことですから、改めて詳細にはふれませんが、簡単にいえば、メシヤはダビデの家系、血筋に生まれることが紀元前1000年ころにダビデ王に対して預言者ナタンによって予め告げられていました。そのことが、ここに成就したのです。
こうして預言の成就をみるとき、私たちは少なくとも二つの真理を確かに知ることができます。第一は歴史を配剤する神は現実に生きておられて、細やかな配慮をもって歴史を支配しておられるという真理です。
第二は、ナザレのイエスというお方は、紛れもなく、ほんとうに約束されたメシヤ救い主なのだという真理です。その誕生を数百年も前から克明に告げておくことによって、実際にメシヤが地上に生まれたときに、この方が間違いなくメシヤであるということが客観的に分かるように、ちゃんと用意をなさっていたのです。

3. 飼い葉おけに

 このようにして、歴史を摂理なさる生ける神様が、預言者をあらかじめ立てて周到な準備をし、ローマ皇帝や総督クレニオの心の思い、決断といったことにまで配剤をなさったからこそ、救い主メシヤ、イエス様はベツレヘムの厩にお生まれになりました。ということは、イエス様が厩、家畜小屋に生まれたこともまた、神の意図があったのだということは明らかです。そこには神様からのメッセージがあるのです。
 当時、イスラエルの人々はメシヤの到来を待ち望んでいました。というのは、国がローマ帝国の属国にされていたからです。ダビデ―ソロモン王朝の時代のような栄光ある時代が再び、この国にやってくることを期待していたようです。そのメシヤとはダビデのように強く、ソロモンのような知恵に満ちているヒーローであったわけです。ところが実際に、歴史の中に到来なさったメシヤはなんと、ガリラヤはナザレという片田舎の大工さんのいいなづけに生まれたちっぽけな赤ん坊。しかも、生まれた場所は、宮殿の豪華なベッドではなくて、よりによって家畜小屋の飼い葉おけでした。(6,7節)

 ここには生ける神、歴史の支配者であるお方から私たちへのメッセージがあります。

 第一は、人のあふれている宿屋には泊まるところがなく、暗くて寒く不潔な家畜小屋に御子が来られたことから思い出すのは、私たちが礼拝で毎週のように朗読してきた、主イエスによる山上の祝福の最初の祝福です。心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢といったこの世の誇りで満ち足りている心はイエス様を迎えることができません。また、自分を正しいと誇り、満ち足りている心はイエス様を迎えることができません。
 ただ、神様の前では自分は実に小さく、真実の愛に欠けた、また罪に汚れた者にすぎないのだという事実を認めて、神様にすがる、神様の前にへりくだった人の人生にこそ御子はおいでくださるのです。 
 今年のクリスマス、この家畜小屋の生誕の出来事からもうひとつ覚えたいこと。それは、イエス様はただ人間だけの救い主ではなく、全被造物の贖いのために来られたお方なのだということです。マリヤ、ヨセフだけでなく、牛や羊や牛たちが神の御子の誕生を喜んでいました。私たちの住んでいる被造物世界は、アダムの堕落以来正常な状態ではなくなっています。その上、近代科学文明誕生以来、人間はさらに自然を収奪し、これを破壊してきて、いまや危機的状況に陥っています。しかし、御子イエスが世界の救い主として再び来られる日、被造物は滅びの束縛から解放されて栄光に輝きます。ローマ書は次のように言っています。
「8:18わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。 8:19被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。 8:20なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、 8:21かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。 」


「11:1エッサイの株から一つの芽が出、
その根から一つの若枝が生えて実を結び、
11:2その上に主の霊がとどまる。
これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、
主を知る知識と主を恐れる霊である。
11:3彼は主を恐れることを楽しみとし、
その目の見るところによって、さばきをなさず、
その耳の聞くところによって、定めをなさず、
11:4正義をもって貧しい者をさばき、
公平をもって国のうちの
柔和な者のために定めをなし、
その口のむちをもって国を撃ち、
そのくちびるの息をもって悪しき者を殺す。
11:5正義はその腰の帯となり、
忠信はその身の帯となる。
11:6おおかみは小羊と共にやどり、
ひょうは子やぎと共に伏し、
子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、
小さいわらべに導かれ、
11:7雌牛と熊とは食い物を共にし、
牛の子と熊の子と共に伏し、
ししは牛のようにわらを食い、
11:8乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、
乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。
11:9彼らはわが聖なる山のどこにおいても、
そこなうことなく、やぶることがない。
水が海をおおっているように、
主を知る知識が地に満ちるからである。」イザヤ11:1-9口語訳