苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

近世教会史3 ルター(3)神学   教会観3点

c.教会観
①「信徒皆祭司」―――聖徒の交わりとしての教会
 ルターといえば「信徒皆祭司」ということが常識的に言われる。そして、それは誤っていない。「ドイツ貴族への言葉」Luther’s Werke xi405-415 ベッテンソンpp278-280
「われわれはみな、バプテスマによって祭司として聖別されているのであり、聖ペテロが『あなたがたは、祭司の国、聖なる国民である。』(Ⅰペテロ2:9)といい、また黙示録には『わたしたちの神のために(あなたの血によって)わたしたちを御国の民とし、祭司となさいました』(黙示録5:10)とあるとおりである。」
「司祭は、キリスト教界にあっては、機能上の身分以外のものであってはならない。彼がその職にある間は、彼は上位に立つが、その職を失うなら、他の人々と同じように百姓あるいは一市民であるにすぎない。であるから、司祭はその職を退いた後は、たしかにもう司祭ではない。・・・そこで、信徒と司祭、君主と司教、あるいは、彼らのいう『霊的』と『世的』な人々の間の、唯一の真の相違は、身分ではなく職務と機能であるということになる。」

②「母なる教会」
 しかし、それは近代人たちが空想するように、ルターが個人主義的な信仰を唱導して、教会は不必要であるという「無教会主義」めいたことを言ったかというと、実際は正反対である。ルターは教会をきわめて重視した。1530年フィリップ・メランヒトンが起草し、ルター自身深くかかわったアウグスブルク信仰告白においては、次のように告白されている。
「彼らはこう教える。ただ一つの、聖なる教会は、永遠に存続するものである。この教会は、聖徒の集りであって、そこにおいて福音が正しく教えられ、聖礼典が正しくとり行なわれる。」(アウグスブルク信仰告白Ⅶ教会について ベッテンソンp302)
「彼らはこう教える。正規に召されたものでないかぎり、誰も教会内で公に教えたり、聖礼典を執行したりすべきではない。」(同上XIV 職制について)
 すなわち、説教と礼典の執行権は、教職者に厳密に限られている。
 J.ゴンサレスによれば「彼の神学は、神との個人的・直接的な交わりの神学ではなく、むしろ、信仰者の共同体で生きるキリスト教徒としての生活の神学であり、彼はしばしばこの共同体を『母なる教会』と呼んだ。すべてのキリスト教徒は、自ら受けた洗礼の故に祭司とされていることは確かだが、それは、後世のある解釈者たちが言ったような、自分だけで十分に神に近づくことができるという意味ではない。もちろん、すべてのキリスト教徒は神との直接的な交わりを持つことが出来る。しかし、同時に神とのあらゆる交わりが実現する有機的な現実が存在するのであり、それこそが教会である。
 祭司であるということの第一の意味は、わたしたちが自分の個人的祭司だということではなく、むしろ、わたしたちが信仰共同体全体のための祭司であり、共同体の一人一人がわたしたちのための祭司であるということを意味している。信仰者の万人祭司の教理は、教会という共同体の必要性を無視するどころか、その必要性を強化するのである。」

③ルターの「二王国論」
 新たな解釈もされているけれど、ここではごく常識的なルター的国家観を紹介しておく。
 中世においてはローマ教皇が絶大な権力を西ヨーロッパ全体に及ぼしていたが、フランス、イングランドを始めそれぞれの地域における王権が徐々に成長してきて、教皇庁の影響を脱したいという空気になってきていた。ルターのいたドイツでは、皇帝カール5世はルターが帝国を解体させてしまうのではないかと恐れ、ルターをヴォルムス帝国議会に引き出して、彼を有罪として法律の保護外に置いてしまうが、フリードリヒをはじめとするローマの影響力を脱しようという領主たちがおり、ルターをヴァルトブルク城にかくまった。このように、ルターの改革は俗権の協力を得て進めることができた。
 とはいえ、ルターは教会が王国の道具になればよいとはまったく考えていなかったし、教会が俗権を支配するのも不適切を考えていた。むしろ、教会と国家の相互不可侵という原則がたいせつだと考えた。いわゆる「二王国論」と呼ばれる。だが、この二王国論にも長短がある。長所は、実際に双方が相互不可侵を守りながら支えあうならばよいのであるが、短所はたとえば俗権が教会の支配に乗り出してきた場合、教会は政治向きの発言はしないという態度を取り続けるならば、結局、俗権のいいなりになってしまう結果になるからである。

[参考]
原克博「ルターによる〈信仰による義認〉の発見は、信仰を〈内面的良心の領域〉として独立させる。それは同時に〈政治や世俗的権力の担当領域〉を〈外的なものに限〉ることであり、こうして〈宗教と政治との相互不可侵の関係、相互独立の関係〉が明確にされた。いわゆる〈二王国論〉だが、この原則は、キリスト者が国家の悪と直面した時、プラスにもマイナスにも作用したのではないか。」

朝岡勝「ルターの考え方は通常『二王国論』と称され、神のこの世に対する支配統治は霊的領域の統治と世俗的領域の統治とに分けられて、世俗の統治もまた神的な権威を帯びると理解されたのです。ルター自身は必ずしもそのような二元論的な理解を主張したわけではなく、むしろキリストの全領域にわたる支配の下での統治様式の違いを主張したのですが、後の時代には国家は創造の秩序に基づいて立てられた権威ゆえに、教会はこれに干渉しないという風潮を生み出す結果となったのです。そしてそのもっとも先鋭的かつ醜悪なかたちでの表れが、ヒトラー時代のナチ政権だったのです。そしてヒトラー率いるドイツ国家を神的な権威として崇め、これに進んで服従する教会も次々に生まれていったのです。」