苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

大阪弁 野の百合を見よ


 大阪の牧師さんが、山上の説教をギリシャ語本文の語順そのままに大阪弁に訳して朗読しています。もともと聖書は、文語体ではなくて、会話体のコイネーギリシャ語だから、こんなふうに訳すのがいちばんニュアンスとして原文に近いのではないかというわけです。なるほど、おもしろいです。
 今、筆者は身の程知らずにも、息子に新約ギリシャ語の手ほどきをしているんですが、ギリシャ語の場合、英語みたいに語順をSVOだとかSVOOだとかSVOCだとかこだわらなくて、単語が好きなように並んでいます。ちょうど日本語と同じです。現代日本語の場合は、主格なら「が」という格助詞、所有格なら「の」という格助詞、目的格なら「を」という格助詞がくっついているので、「あなたが私の本を読む」でも「私の本をあなたが読む」でも「あなたが読む私の本を」でも通じるわけです。もし格助詞がくっついていないと「あなた私本読む」となって、意味が通じません。こういう助詞は語の資格をつくるので格助詞と呼ばれます。資格助詞といったほうがわかりいいですね。
 それはともかく、ギリシャ語の場合、この「が」「の」「を」などという格助詞がになう役割を、名詞の語尾変化で行なっていますので、日本語と同じように語順がいろいろ違っても意味が通じるわけです。たとえばロゴス(ことばが)、ログー(ことばの)、ロゴー(ことばに)、ロゴン(ことばを)と変化します。こうしてみると、ギリシャ語は英語より日本語に近いかもしれません。 講釈は以上。大阪弁の山上の説教を聞いてみてください。なかなかいいです。・・・逆光ですが、よく見ると私の先輩の牧師さんらしい。